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2014年5月11日(日)

肌で感じた原発事故被災地

民青全国青年ボランティア 福島・南相馬

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 「被災地のいまを知りたい」「被災者のために、自分にできることがあれば」―。東日本大震災、福島第1原発事故の被災地に開設(4月25日〜5月6日)された民青同盟の第7次全国青年ボランティアセンター。福島県では4カ所に20都府県から約300人の青年が参加しました。南相馬市のセンターに訪れた高校生から30代までの55人と、連休の3日間をともにしました。(和田育美)


 被災地の実態を知るフィールドワーク、仮設住宅への訪問、福島原発事故直後から救援・復興、国、東京電力とのたたかいに献身的にとりくんできた地元の議員や青年たちとの交流など、参加者は、目まぐるしいなかでも充実した毎日でした。大阪からきた女性は「福島の現状を肌で感じて目で見て。現地の人と対話して何かを感じて。福島のことを知る青年が増えたことがすてきだと感じました」と感想文に記しています。

 原発事故避難区域である小高区のフィールドワークでは、小高駅のさびついた線路と草が生えた姿に「復興とは程遠い」とぼう然とする姿もみられました。4日は、海岸線を通り、浪江町の町境までフィールドワーク。南相馬のボランティアセンターは福島第1原発から30`b圏内に位置しています。党南相馬ボランティアセンター長の宮前利明さんの案内で、国道6号を南下すると、ガレキの山が目に入ります。

 津波で流されてきたトラックの荷台、小船が所々にあり、「テレビで見るのと違い、津波の脅威がぴりぴり伝わってきた」という青年も。以前は田んぼでしたが、震災後1年以上水がたまったままだった場所では、「原発の影響がなければ、もう一度野菜やお米を育てられたのに」とつぶやく声が聞こえてきました。

一軒一軒訪ねて

 仮設住宅訪問では、支援米とアンケートを手に、生活で困っていること、仮設住宅の生活、体調面のことから、国への要望、原発再稼働についての意見などを聞き取りました。「生活の様子を聞かせてください。国に届けます」と声をかけて、一軒、一軒訪ねました。

 「ふとんや押し入れに入っているものもすべておいてきたまま。3年前から何もすすんでいない」などの声に胸が痛んだという学生は「国のトップにたいする怒りがこみあげてきた」と話します。

 40代の女性は、「仮設住宅は、子どもといっしょに住むには狭すぎる」と不便さを訴えました。住んでいた地域では放射線量が高く、家を再建する見通しをたてることができません。「『原発問題はあらかた収束』というような無責任なことをいういまの政府にもう一度現地の状況に目を向けて、被災者の暮らしの苦労を軽減させるとりくみに力を注いでほしい」。原発事故の被災者の話をじかに聞いた青年たちは、こんな思いを共有しました。

 「困ったことや不満はありますか」と聞いても「もう慣れた」「そんなこといえる立場でない」という声も聞き、参加者は、「ストレスを軽減させてあげたい」「そういう思いをさせた国と東電が許せない」。もどかしさとともに怒りを感じました。

 毎日夜の活動交流も活発でした。荒木千恵子南相馬市議と福島市に住む青年から被災地の現状や党のとりくみを聞いたときは、「1b違うだけで賠償額が違う」という実態に青年たちは驚きました。

たくさんの話を

 4日、仮設住宅で聞き取りを行った後、仮設内にある集会所を借りて感想交流中、「若い人が多いんだね」と、自治会長の佐藤昭さん(66)が訪れました。線量が高いため仮設での生活を強いられています。「自宅の庭でも0・5(マイクロシーベルト)ある。今まで自然の中で住んでいたのに、山菜採りや田んぼの仕事ができなくなった」と話していました。

 すすまない復興や、被災者の現状を目の当たりに、参加者からは、口々に感想が出されました。

 四国から参加した学生は、震災当時、福島第1原発4号機内で作業し、閉じ込められていた男性の話を紹介しました。「自分が体験したことを後世に引き継いでほしい」と語り始める姿が印象的だったと言います。「最初は話をしてくれるか不安だったけど、本当にたくさん話をしてくれた」と述べました。

 大阪から参加した大学1年生は「自分たちがここで見てきたこと、ここに来ないと分からなかったことを地元に戻って伝えていきたい」と話しました。


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