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2014年2月3日(月)

川崎重工の労働者身辺調査

戦闘機受注の“条件”として

証言の元社員“良心に反し、精神にこたえた”

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 秘密を扱う労働者に憲法違反の身辺調査を行っている軍需産業―。その秘密保全規則をつくった体験を、川崎重工の元社員が本紙に語りました。証言から、戦後、日本が再軍備するなかで身辺調査の実施へと踏み出した経緯が浮かび上がりました。


写真

(写真)航空自衛隊のF104戦闘機=1977年、茨城県・百里基地

 「入社した年の夏から1年がかりで規則をまとめた。良心に反し、猛烈に精神にこたえる仕事だった」

 証言した元社員の男性は1957年、当時の川崎航空機工業の岐阜工場(岐阜県各務原市)にいました。男性が配属されたのは「T33(ティー・サンサン)総務課」という部署です。

 T33とは米ロッキード社のジェット戦闘機をもとにした練習機。自衛隊発足の54年に輸入され、翌55年から川崎航空機がライセンス生産しました。

 男性はこのT33総務課で秘密保全規則をつくりました。

 「会社の重役が渡米し、ロッキードの規則を英文のままごっそり持ち帰った。それをもとに規則を起案しろということだった」

 規則の作成に直接かかわったのは男性と上司の2人。ほかに英文の翻訳を数人が担当しました。

 このころ、防衛庁は新戦闘機の導入を準備していました。米国で54年に初飛行したロッキードF104です。

米国の要求

 このF104の生産を希望する企業に防衛庁が求めたのが、秘密保全規則でした。

 戦闘機の技術を提供する米国が、「米国で定める秘密保護の等級と同等のもの」(54年3月、日米相互防衛援助協定の付属書)を求めたことが背景です。男性も「規則の作成は協定にもとづくものだと聞かされていた」と話します。

 また、会社側にも「F104の受注を有利にしたい」という思惑がありました。

 規則で労働者に求めようとした指紋採取は、ロッキードの原文をそのまま翻訳。「米国での実際は知らないが、指紋を押させたカードを保管することを想定していた」といいます。

 また、労働者の身辺調査も盛り込みました。「自分の経歴や身の周りのことを書いて提出させる。たしか、身上調査書といった」

 男性は東京都港区六本木にあった当時の防衛庁本庁を2度訪ねて、規則案を説明しました。

 「防衛庁は、私の報告を聞いて『いいんじゃないですか』と了承していた」

 指紋採取と身辺調査に、当時の川崎航空機労組は猛反発。会社側は「制度化できなければ、F104生産に重大な支障」と主張し、指紋採取を削除して58年8月に労使間で妥結しました。

 男性は規則の完成から1年ほどして異動。その後の運用は耳に入っていないといいます。

 80年代初めに日本共産党が明らかにした川崎重工の身辺調査の実態を見ると―。

 秘密を扱う労働者に記入させる調書の項目は、本人の経歴のほか、▽資産▽借金の有無▽妻の旧姓、職歴、学歴▽本人と妻の両親、兄弟、祖父母の生年月日、勤務先、住所▽本人がこれまで属した団体の加入、脱退理由▽2人以上の友人の年齢、職業、交際理由―など。

より厳格に

 申告項目の多さは、規則をつくった男性自身が、「そこまでやっていたのか…」と驚くほどです。米国から導入する兵器が高度になるにつれ、調査が厳しくなったと男性はみます。

 昨年末に安倍内閣が強行成立させた秘密保護法は、秘密を扱う民間人の身辺調査を国が行うとしました。調査の体制や方法、調査対象の範囲などの具体化はこれからです。

 「身辺調査がどれだけ横の広がりを持つのか、身の周りに忍び寄っていないか、大いに注意喚起すべき問題だ」―。男性は人権侵害の拡大を懸念します。


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