2013年7月28日(日)
戦争の歴史に向き合う街 ベルリン
道や駅にナチスの犠牲者記す碑…日常が教育の場
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ベルリンのユダヤ人墓地跡で取材している時でした。
「私たちの国の歴史は、お国ではきちんと知られているのでしょうか」。突然ドイツ人女性から声をかけられたことがありました。
真剣なまなざしで私を見つめる2人は、小学生の子どもを持つお母さんたちでした。
クローゼ・ハンブルガー通りにあるこの墓地の入り口には、一つの碑が建っています。
1942年、5500人のユダヤ人が、赤ちゃんからお年寄りまでここに集められ、アウシュビッツに送られたことが記されていました。
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「本当にひどい歴史ですから、私たちの親たちも、戦争中に何があったのか、なかなか話したがりませんでした。でも、過去をきちんと学ばないでは、未来を語ることもできませんものね」
何気ない言葉に、改めて日本の現実を突き付けられた思いでした。
日本はドイツと同盟を組んで第2次世界大戦をたたかい、侵略したアジアの国ぐにに、2000万人を超す多大な犠牲者を出すという惨事を引き起こしました。
なのに、歴代政府のどの首相も、責任ある謝罪さえ行ってきませんでした。
戦後50年もたった1995年になって、当時の村山首相が、談話で、戦前の日本の「植民地支配と侵略」を反省すると、やっと表明しましたが、その後も閣僚や、政府の要人などから侵略戦争を美化する発言や、靖国神社への参拝が相次いでいます。
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こうした日本と、対極の立場に立ったのがドイツです。自国がおこなった過去の侵略戦争と、しっかり向き合い、1950、60年代ごろには、ナチスのやった蛮行に対する謝罪と補償をおこなう法的な基本レールがしかれました。
そして世界大戦の歴史にかかわる節目ごとに、大統領や首相など、国の責任ある人が、ナチスが行った侵略戦争と、ユダヤ人に対するホロコースト(大量虐殺)などの犯罪行為を告発。ドイツの戦争責任を、しっかり次世代に引き継ぐ努力をしてきました。
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ドイツ連邦基本法(憲法)は、「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ保護することは、すべての国家権力の義務である」と、うたっています。
子どもたちにも、自国の過ちをしっかり教え、平和と人権に貢献することの素晴らしさを知る人間になるよう、教育しています。
もちろん教科書に、侵略戦争を美化するようなものは、ありません。
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このように、反省と謝罪を明確にすることで近隣諸国の信頼を獲得し、友好を確立してきたドイツ。
ベルリン市内を歩くとあちこちで、自らの過去を告発し、再び悲惨な戦争を繰り返すまいという決意を語る記念碑や、モニュメントに、出会えます。
なかでもユダヤ人の犠牲については、通勤客が乗り降りするSバーン(近郊電車)駅や、集合住宅の壁、多くの人が行き交う道路上など、日常の場が、生きた教育の場となっているのが、印象的でした。
文・写真 大内田わこ
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