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2012年12月24日(月)

震災で注目 コミュニティーFM

宮城・登米H@!FM

岩手・宮古災害エフエム

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 地域の「目」や「耳」の役割を果たすコミュニティーFMが、各地で注目されています。東日本大震災後、「災害FM局」に移行したり新たに開局して、貴重な生活情報や安否情報を伝えてきました。一方、災害放送免許の“期限切れ”を視野に入れ、各局では新たな模索を始めています。


宮城・登米H@!FM

地域をつなぐ橋渡し役10年先を見据え

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(写真)H@!FM社屋と斉藤さん

 宮城県北部、岩手県と接する人口8万3千人の登米市のコミュニティーFM局「H@!(はっと)FM」は、震災1年前の2010年に開局。震災から5日目、臨時災害放送局(災害FM)に移行しました。現在も24時間、通常放送とともに災害情報を伝え続けています。

 「登米市は独自のメディアがない空白地帯でした」と局長の斉藤惠一さん(52)。その上「登米市は9町をむりやり急激に合併したもので、一体感がない。コミュニティーの活性化に寄与できる事業がないか」と設立を考えました。今では聴取率が8割になるほど市民に親しまれています。

78年の経験から

 気仙沼市出身の斉藤さんは、1978年の宮城県沖地震で実家と連絡できなかった経験から、情報を伝達するにはラジオが大事だと思ったといいます。「地震はまた必ずくる。コミFMで地震や、防災、地域の情報を伝えることが必要」の思いでした。

 震災当日は、緊急時に備えてスタジオと電波発信所2カ所にバッテリーがあったので、「基本的に途切れることなく放送できた」と、放送局として日頃からの備えが大事だと強調します。

黒字経営続けて

 3月末まで、家屋被害を受けたスタッフも泊まり込み、24時間生放送を続けました。沿岸部の南三陸町から避難してきた人たちのための情報も、地域を越えて流しました。「それがメディアとしての方針」だといいます。

 老人施設や病院、商店から「何日から開けるよ」と市民が直接情報を寄せてきました。「家族の安否を知りたい」の要望にも即座にこたえて放送。「メールや手紙で『あの時は助かりました』と知らせがありました。市民との橋渡しができてうれしかったですね」

 「はっとFM」は開局時から毎月、黒字経営を続けています。スポンサーは小口でも、地元商店や個人から幅広く集めるのが特徴。ケーブルテレビ会社で経営も経験してきた斉藤さんは、開局準備に1年かけ、10年の出資計画をたてました。「人口規模、商業規模から、広告宣伝代だけでいけるだろうと試算しました。夢や『好きだから』も大事ですが、10、20年先まで持続させるほど準備しなければ」と、赤字に苦しむ全国のコミFMにアドバイスします。

 貧困と孤独死、TPP(環太平洋連携協定)など時事問題も市民に問いかける「はっとFM」。「『登米市のマスコミ』という意識です。市民にも時事問題を考えてほしいのです」

 局名は「ハッピーはあなたのすぐそばにあります」の意味。「ますます好きになってくださいね」

 (森保和史)


岩手・宮古災害エフエム

被災者の求めるもの悩みながら

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(写真)オンエア中の「みやこ災害エフエム」スタジオ(右は佐藤さん)

 津波で600人以上が犠牲になった岩手県宮古市では「みやこ災害エフエム」が、震災発生から11日後の3月22日に放送を開始しました。

有志で立ち上げ

 「震災前から有志で開局の準備を進めてきたので、素早く立ち上げることができました」。災害エフエムを運営する「宮古コミュニティ放送研究会」の事務局長・佐藤省次さん(63)は振り返ります。

 地域放送に関心を持つ会社員や公務員、自営業者など市民17人が集まって研究会を発足したのが2年前の夏。その翌年に開催予定だった高校総体の中継を目指すさなか、震災が襲いました。

 準備に使っていたビルの一室をスタジオにして、スタッフの格闘が始まります。「徒手空拳から始めたので、どんな放送をすればいいのか、被災者が欲しい情報は何か、常に悩みながらのスタートでした」と語る佐藤さんも、津波で両親を亡くした被災者の一人です。

 「家族と連絡をとりたい」「開いている診療所は」…。スタッフとボランティアが、自らの足で調べ歩きました。リスナーでもある日本共産党の田中尚市議は、「テレビも携帯も使えないなか、情報源として本当に役立ったのがラジオでした」。その活動は海外にも紹介され、今年の3月にドイツの民放ラジオ局「レーゲン・ボーゲン」の名誉賞を受賞しました。

法人化目指すも

 被災者を励ましてきた「みやこ災害エフエム」は、大きな転機を迎えています。災害放送の免許期間は2年程度。それ以後も放送を継続するために任意団体の研究会を法人化し、来年中にも正式にコミュニティーFM局への転換を目指します。

 佐藤さんは「問題なのが資金」と頭をかかえます。「現在は市の緊急雇用対策事業の補助金で運営しているものの、いつまで続くかわかりません。自立するために、収入源をCM料と放送委託料で賄いたいのですが、地元の企業のほとんどが被災しています」

 田中市議は「市は受信区域を広げる放送施設の整備(1億9000万円)を決めました。資金の援助も視野に入っていると理解しています」と見通しを語り、国や県に対しては「災害時に果たした役割に見合った支援は当然、行うべきです」と注文を付けます。

 放送の内容も「復興に向けて希望の持てる話題を心掛けている」と佐藤さん。商店街のイベントや小学校での作文朗読、仮設住宅の高齢者に向けた料理番組は話題を呼びました。「いちばんうれしいのが『聞いているよ』という市民の言葉。災害の軽減とともに、市民に根差したラジオにしていきたいですね」

 (佐藤研二)


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