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2012年5月22日(火)

野田首相 「嘉手納」以南の早期返還宣伝するが…

跡地利用もできない斜面

もともと住民の生活道路

沖縄の現場にみる

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 野田内閣は、4月に米政府と、米空軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)以南の5基地を3段階で「返還」すると合意したことを、「沖縄の負担軽減」と宣伝しています。しかし沖縄の現場を見ると、とんでもない宣伝であることがはっきりします。(洞口昇幸)


写真

(写真)すでに生活道路となっている「北側進入路」=奥に基地ゲート、沖縄県浦添市

 沖縄県那覇市から宜野湾(ぎのわん)市へ向かう国道58号、浦添(うらそえ)市牧港を左折し、米海兵隊牧港補給基地(キャンプ・キンザー)のゲートに向かいました。両側には民家やアパート、工場などが立ち並ぶ道路。「すでにここは米軍基地の一部、『北側進入路』ですよ」「えっ、ここですか?」。一見、「米軍への提供施設」とはわからずに驚きました。

 4月末の在日米軍再編日米共同発表では、「嘉手納基地以南」の基地を13地区に分け、(1)「手続きすれば速やかに」(2)「県内に機能移設後」(3)「海兵隊移転後」の3段階に分けて返還するとしています。

 野田佳彦首相は15日の復帰40周年の式典で、この合意が沖縄の「基地負担軽減の『目に見える具体的な成果』につながる」と誇りました。

 ところが、この「北側進入路」が「速やかに返還」される部分に含まれています。日本共産党沖縄県委員会基地対策委員の大城朝助さん(前那覇市議)は説明します。「40年以上、沖縄の本土復帰前から住民の生活道路として使われている。ここがいまだに返還されていないこと自体おかしい」

 「速やかに返還」の欺瞞性は、他の地区でもはっきり見ることができました。

 米海兵隊キャンプ瑞慶覧(ずけらん)(宜野湾市、北谷(ちゃたん)町など)の西普天間(ふてんま)住宅地区(約55ヘクタール)。海を眺めることができる小高い丘の斜面に米軍家族住宅が建っていますが、大部分が空き家、廃屋でボロボロになっています。長い間使われていないことがはっきりわかります。

 同地区も「速やかに返還」の対象です。大城さんは解説します。「斜面部分だけ返されても自治体は活用に困ります。全面返還されれば、自治体も全体の一部として跡地利用計画に組み込めますが、『細切れ返還』では跡地利用に使えません」

 同地区は1996年の「沖縄に関する日米特別行動委員会」(SACO)合意で返還が決まったところの一つでした。

 日米政府はこれまで、普天間基地(宜野湾市)の県内「移設」と海兵隊のグアム「移転」と「パッケージ」(一体で進むこと)でなければ返還しないと、同地区を“棚ざらし”にして、沖縄県民に普天間基地に代わる新基地の受け入れを迫っていたのでした。それを今回、「パッケージ」から外したことを、野田首相は「成果」として誇っているのです。

 大城さんは、「今回、日米両政府が『速やかに返還』できるとしたところは、もともと米軍側は返還しても支障がなく、返還後の自治体の跡地利用を考慮せずに選び出した部分だということです」と強調します。

 このような「細切れ返還」に、当該自治体の首長や地元の軍用地主会からは反対の声が相次いでいます。

 また、今回、返還されるとした「嘉手納以南」の基地の93%以上は「移設条件付き」。従来の「たらい回し」路線にも県民の不満や怒りは高まっています。普天間基地と同様、嘉手納以南の基地も無条件・全面返還が県民の願いです。

図:嘉手納基地以南「細切れ返還」の実態

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