2012年3月7日(水)
きょうの潮流
3月7日は、「消防記念日」です。消防の仕事が警察から独立して市町村に移った、1948年のこの日にちなみます▼週明けの夜、岩手県釜石市の3・11のようすがテレビに映し出されました。突然、高い防潮堤を乗り越えた津波が滝のように街に流れ込み、あれよあれよという間に引き波へと転じ、家々をさらってゆく…▼釜石の消防団員を思い出しました。『震災死 生き証人たちの真実の告白』(吉田典史著)に紹介されている大森秀樹さんです。大森さんは地震の直後、市の中心から4キロ先の水門を閉めようと必死でした▼しかし、閉め方が分かりません。訓練では、1キロ先の操作室からリモコンで閉めます。当日、操作盤が赤ランプで「異常」を示したため、水門にかけつけ手動に切りかえていました。ようやく閉め終わってポンプ車に乗り込んですぐ、津波が12メートルの水門を越えます▼波をふりきって住民の避難を誘導した大森さんに、自宅のお父さんを救う時間はありませんでした。『震災死』が告発します。本来、防潮堤や水門を建設した国や県が、管理にもあたる。ところが予算と職員を削り、自治体に操作を委ねている。自治体も財政難で職員を減らし、地元の消防団や自治会に操作を“孫請け”させている、と▼東日本大震災で命を落とした消防団員は、253人といわれます。犠牲者を英雄のようにたたえるだけではすまない、3・11の悲劇の記録です。やはり、防潮堤や水門を閉めるとき波にのまれた人が多かったのです。