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2012年1月4日(水)

イラク戦争「終結」宣言したが

「宗派対立」なぜ 米軍占領の傷痕深く

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 米政権が戦争「終結」宣言を行ったイラクでいま、マリキ首相(イスラム教シーア派)がハシミ副大統領(同スンニ派)をテロ関与容疑で告発(昨年12月)するなど「宗派対立」が深刻化しています。一体、何がこの「対立」をもたらしたのか、国民はどう考えているのでしょうか。 (カイロ=小泉大介)


 「私の兄は3年前に爆弾テロで妻と2人の子どもを失い、精神を病んだままです。いま、『宗派対立』再燃で、私も娘を外に出すのが恐ろしい」

 本紙の電話取材(昨年12月末)に、重い口を開いたのは、首都バグダッドの公務員でスンニ派の男性、ハッサン・ガファルさん(35)。こう付け加えました。

終わらぬ戦争

 「イラク戦争は終わってなどいません。米占領軍がつくりだしたイラク国民の傷痕は、いまも深く残り、広がってさえいます」

 「宗派対立」が占領によってもたらされたことは国民の間では常識です。かつての植民地支配さながらの「分割統治」政策が徹頭徹尾、貫かれたからです。

 米国防総省はイラク戦争開始前の2003年3月11日に早くも、戦後はイラクを北部、中央部、南部の3地域に分割する方針を公然化。クルド人(人口の約2割)、アラブ人のスンニ派(同約2割)、同シーア派(同約6割)の主な居住地域による分割です。

 米占領軍はさまざまな干渉を行い、05年10月の国民投票で承認されたイラク憲法に、州政府に強力な権限を与える「連邦制」を明記させます。その直後、06年2月にはシーア派聖廟(びょう)爆破事件を機にスンニ派との「内戦」ともいえる事態が発生。シーア派とスンニ派の対立の混乱が収まらない07年9月には米上院が「イラク3分割を求める決議」まで採択したのです。

 この一連の経過について、バグダッド・ムスタンシリア大学政治学部のアジズ・シーアル教授は「占領開始までイラクには今のような宗派対立はありませんでした。それが占領後、宗派、民族の違いに基づく政治制度が押し付けられ、不運なことに、イラクの政治家がこれを履行する役割を担ったのです」と振り返ります。

混在地の衝突

 占領前まではシーア派とスンニー派の結婚も珍しくなかったイラク。今、両派が混在する地域では、スンニ派住民が「なぜここに住んでいるのか」と問い詰められる事態が生まれています。

 バグダッドに住むシーア派の主婦、オム・アリさんは06年、逆にスンニ派住民からの嫌がらせで引っ越しを余儀なくされました。

 「イラク国民は、お互いに疑心暗鬼に陥り、何を信用していいかわからない状態です。ただ一つ確かな事は、流血を伴う宗派対立をつくりだした責任が、アメリカの戦争と占領にあるということです」

 シーアル教授は言います。

 「まずは政治レベルで国民的な統一をつくるしか解決策はありません。そのためには、連邦議会(国会)選挙を前倒しすることが有効でしょう。しかし、米国の干渉を完全に排除することが前提でなければなりません」


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