2010年12月23日(木)「しんぶん赤旗」

沖縄返還・「密約」関連の外交文書


 外務省は22日、沖縄返還や「密約」関連の外交文書ファイル291冊を公開しました。数千点におよぶ文書のうち、本紙が着目した重要文書を紹介します。


秘密保護法 執拗に要求

駐日米大使、岸信介首相に

 外務省公開の安保条約改定交渉関連の外交文書で、当時のマッカーサー駐日米大使が岸信介首相との会談で秘密保護法の制定を執拗(しつよう)に求めていたことが分かりました。

 同大使が1958年10月の改定交渉開始を前にした打ち合わせのため本国に一時帰国しようとしていた58年8月25日、東京で岸首相らと協議したさいの会談記録に示されていました。

 「内々承りたいが、臨時国会に秘密保護法を出す見込みか」と切り出したマッカーサー大使。この問題を取り上げた動機として、「大統領などに対日軍事援助などを話すつもりだが、新立法の話ができれば、はなはだよくなる」と述べました。

 岸首相は「国会提出の考えで法務省などに研究を命じたが、多分提出されよう」と応答。同大使は、「自分の出発前に決まれば知らせてほしい。決まらなくても首相が提出の意向だと大統領に話していいか」と念押しし、岸首相は「提出する強い意向と話されて差し支えない」と相づちを打ちました。

 マッカーサー大使は「自分の方からサジェスト(示唆)している訳ではない」と言い訳しつつ、「米側に問題があるのでうかがっている」と“強要”の理由を付け加えました。

 この会談から40日後の10月4日、安保条約改定交渉が岸首相とマッカーサー大使のあいだで開始。岸政権はその4日後、国会に警察官職務執行法改悪案を提出しました。同案に盛り込まれた「警察国家」への策謀は国民の猛烈な反発を呼び、巨大な反対運動が一挙に盛り上がって11月下旬に政府は同法の改悪を断念しました。

 しかし、岸首相は翌59年3月に、公然と国会でスパイ防止法制定の意図を公言。この時の米解禁文書は、マッカーサー大使が岸言明を本国政府に報告し、「頼もしい動き」と歓迎したことを記録しています。

米、選挙資金供与か

68年琉球主席公選 親米候補に

 沖縄の日本復帰前の1968年11月に初めて実施された琉球政府主席公選で、親米保守系候補の西銘順治氏の選挙資金に米側が関与していた可能性があることが分かりました。

 同年6月18日に下田武三駐米大使が外務省に送った極秘電報によると、米国務・国防両省の幹部らが「ニシメイ第1でのぞんでいる」と、主席公選での西銘氏支援を表明。「本土自民党の援助が手遅れになることを最も心配し、在京米側より党に対しオキナワへの選挙資金送金方法改善方につき直接申し入れを行った」旨を述べたとしています。

 この問題では、沖縄県の公文書館で、西銘氏側への資金供与に米側が関与している可能性を示す琉球列島米国民政府(USCAR)の文書が見つかっていますが、それを裏付ける日本側文書が明らかになるのは初めてです。

 また、同電報によると、米側は「ニシメイ候補を援護する最良の方法」として、沖縄県民が求めていた国政参加の検討を表明。68年4月22日付の外務省の秘密文書によると、国政参加について米側が「本件実現が11月の選挙において、西銘候補に真に有利に作用するよう選挙戦の一つの武器として使用したいと考えている」などとし、「実績づくり」の裏工作を展開していたことを示しています。

 しかし、こうした裏工作にもかかわらず、選挙では結局、革新の屋良(やら)朝苗(ちょうびょう)氏が当選しました。

核模擬弾訓練 対米交渉の経緯判明

不破質問うけ 日本側が中止要請

米に拒否され態度一変

 外務省公開の外交文書で、政府が沖縄返還にあたり、沖縄本島北西に位置する伊江島(いえじま)での核模擬爆弾投下訓練を中止するよう求めていたものの、米側に拒否された経緯が明らかになりました。この経緯は米側の解禁文書に示されていましたが、日本側の資料で裏付けられたのは初めてです。

 72年3月7日、日本共産党の不破哲三議員(当時)が衆院予算委員会で訓練の中止と米側への調査を要求。これに対して政府側は調査を約束し、福田赳夫(たけお)外相は、72年5月15日の沖縄返還までに中止させるとの見解を示しました。

 公開された極秘文書によれば、3月10日、外務省北米一課員が在日米大使館員に不破質問の概略を説明した上で、核模擬爆弾の投下訓練を「差し控えられたい旨要請」しました。

 米側は即答しませんでしたが、4月15日付文書には、米本国から、「復帰後も同訓練を引き続き行いたい意向であり、日本側要請には応じがたいとの結論に達した」との回答が示されていました。

 その後、日本政府の態度は豹変(ひょうへん)。4月28日の参院予算委員会では、日本共産党の岩間正男議員の質問に、「米軍が核の訓練をするのは、核保有国として当然」(江崎真澄(ますみ)防衛庁長官)などと述べるようになりました。

 核模擬弾投下訓練は74年から75年にかけて行われたことが確認されています。





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