2010年9月5日(日)「しんぶん赤旗」

三宅帰島5年 復興半ば

島民つどい 「支援に感謝」


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(写真)三宅島に到着した人たちを出迎える島民たち=4日午前5時すぎ、東京都三宅島の三宅港

 三宅島(東京都三宅村)の雄山(おやま)噴火による全島避難から10年、避難指示が解除され帰島から5周年を記念して4日、島内の旧阿古小学校体育館で「感謝と交流のつどい」が開かれ、約600人が参加しました。

 避難先だった自治体の人やボランティアの人たちが招かれました。この日朝5時に、招待者を乗せた船が港に着くと、島民が出迎え、再会を喜び合いました。

 平野祐康三宅村長は、「帰島から5年たつも残された課題は山積していて復興はまだまだ道半ば」と話し、「農漁業や観光など産業の再生をはたし、安心して安全な暮らしを続けていける島づくりが私たち島民に課せられた使命だ」と述べました。

 都立三宅高校1年生(16)は、避難後は仲の良かった友達と離ればなれになり不安でいっぱいだった気持ちを語り、「ここまで復興したのは、みなさんの温かい支援のおかげです。本当にありがとうの気持ちでいっぱいです」と述べました。

 日本共産党の吉田信夫都議団幹事長が来賓として出席。平川大作・党三宅村議が参加しました。石原慎太郎都知事は欠席し、佐藤広副知事が祝辞を代読しました。

 交流会では、獅子(しし)舞や木槌(づち)太鼓などの郷土芸能が披露されました。

 夫と当時90歳だった母と3人で、着の身着のまま足立区のアパートに避難し、5年前に島に戻った女性(70)は、慣れない土地で母の認知症が重くなり家出を繰り返した、と避難生活を振り返ります。「悲しかったのは、そのたびに母が『三宅に帰りたい』と話していたこと。まだまだ復興は終わらない。本土との交通の便や産業再生など、落ち着ける生活を一日も早く取り戻したい」と語りました。


 三宅島の全島避難 東京都三宅村は2000年9月1日、同年7月から続いた雄山の噴火災害を受け、村民の島外避難を指示。約3900人の村民が都営住宅をはじめ首都圏各地で避難生活を余儀なくされました。05年2月1日に避難指示を解除し、復興に取り組んでいますが、火山ガスや病気などでいまだ帰島できない島民もいます。





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