2010年8月11日(水)「しんぶん赤旗」

主張

日航機墜落25年

「安全の原点」深くきざもう


 520人もの尊い人命を奪い、単独機では世界の航空史上最悪の惨禍となった日航ジャンボ機墜落事故から12日で25年になります。

 最近、映画『沈まぬ太陽』で改めて話題になったように、事故の記憶は今日も日本の航空界に生々しく残っています。教訓を風化させることなく、「空の安全」を確立することが必要です。

「利益優先」の経営

 事故は1985年8月12日、羽田発伊丹(大阪)行き日本航空123便で起きました。524人が乗ったボーイング747ジャンボジェット機は、離陸直後に操縦不能となり、30分間以上にわたりダッチロール(8の字蛇行飛行)したうえ、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落しました。生存者は重傷を負って救出された母子ら4人。あまりにも悲惨な結果でした。

 運輸省航空事故調査委員会(当時)は、事故の直接の原因を機体後部の圧力隔壁破壊としました。しかし、この結論には異論が強く出され、再調査を求める声も上がっています。再発防止の前提である原因究明さえ多くの壁に阻まれ、いまだに十分ではありません。

 事故の大きな背景として指摘されたのは、安全を二の次にする利益優先の日航の体質と、それを助長した航空行政のゆがみでした。

 事故後に一新された日航の経営陣は「絶対安全の確立」「現場第一主義」「労使関係の安定・融和」などの最高経営会議方針を発表しました。しかし、それから4半世紀。この安全の「原点」が日航内部で深化し、体質の改善が図られたとは到底いえません。

 事故後の日航は、1999年、2005年の二度にわたって運輸省・国交省の事業改善命令を受けています。きわめて重大な安全上のトラブルを続発させたのです。その結果、日航は「もっとも危険な航空会社」として国民の信頼を失い、今日の経営破たんへとつながる原因のひとつともなりました。その背景には、政府が90年代から本格化させた航空の規制緩和で、航空各社のコスト削減競争に拍車がかかり、利益至上主義経営が一気に加速したことがありました。

 今年1月に会社更生法の適用を受けた日航がすすめる再建策は、またぞろ大幅なリストラ計画を打ち出し、「先に人員削減ありきで、安全と公共性の視点が置き去りにされている」と批判されています。安全運航の要である整備の現場では、50歳以上をターゲットに一律の「肩たたき」がはじまり、航空の現場に欠かせない熟練、熟達、技術の伝承も困難な状況が起こっているといいます。

 事故犠牲者の遺族でつくる「8・12連絡会」は「肉親の死を無駄にしない」という思いで原因究明と再発防止を求めてきました。同会事務局長の美谷島邦子さんは、「失われた命をいかすため、日航は御巣鷹を教訓に安全に飛び続ける義務がある」と訴えています。

犠牲むだにすることなく

 日本共産党は、米国と財界いいなりで空港を乱造し政官癒着で経営介入してきた国の航空政策のゆがみなど、日航を経営破たんに追い込んだ責任の所在を踏まえて、安全性と公共性の確保を前提に再建を進めるよう求めます。

 日航、国交省は、御巣鷹の悲劇を二度とくり返さない決意の上に立つことなしに、再建などありえないことを肝に銘じるべきです。





もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp