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2009年12月15日(火)「しんぶん赤旗」

東京大空襲訴訟

軍人との差別を容認

原告の請求棄却 被害受忍の判断避ける

東京地裁


 第2次大戦中に東京で空襲にあった被災者と遺族計131人が、日本政府に対し謝罪と賠償を求めた東京大空襲訴訟の判決が14日、東京地裁でありました。鶴岡稔彦裁判長(代読)は、戦後国が救済措置を怠ったとする原告らの主張を退け、請求を棄却しました。原告らは控訴する方針です。


 判決は最大の争点である「戦争被害は国民すべてが等しく受忍(我慢)しなければならない」とする、いわゆる「戦争被害受忍論」について、正面からの判断を避けました。

 原告らは空襲被災者のみが援護法の対象外にされているのは、憲法14条の「法の下の平等」に違反すると主張してきました。

 これに対し判決は、空襲被災者を軍人・軍属らと同様に救済・援護することは国の義務だという原告らの主張は「心情的には理解できないわけではない」としつつも、「当時の日本国民のほとんどすべてが何らかの形で戦争被害を負っていた」と指摘し、裁判所が基準を定めて救済の対象者を選別することは「到底困難」と判断。

 戦争被害者の救済は「立法を通じて解決するべき問題」としたうえで、軍人・軍属との取り扱いの差異は「明確な差別に当たらない」としました。

 中山武敏弁護団長は判決後の記者会見で「差別を実質肯定し、司法の責任を放棄した不当な判決」だと批判。星野ひろし原告団長は「私たちは差別を是正してほしいとたたかってきた。今後も差別是正の旗を下ろすわけにはいかない。民間人も等しく救済されるよう道理を尽くしてがんばっていきたい」と決意を語りました。


解説

高齢化する被災者 政府の救済は急務

 人権感覚のかけらもない不当な判決でした。「差別なき戦後補償を」と、たたかってきた原告らの悲願を踏みにじるものでした。

 裁判の最大の争点は最高裁判例の「戦争被害受忍論」の壁を突き崩せるかどうかでした。「戦争被害はすべての国民が等しく受忍しなければならない」という受忍論の考え方は、憲法前文の「平和のうちに生存する権利」にはじまる、平和主義や基本的人権の尊重を基本原理としている憲法の理念と相いれません。

 判決は受忍論について、正面からの判断を避けました。その一方で「さなざまな者が、さまざまな形で被害を受けている」と指摘するなど、実質的に受忍論の理論に基づくものでした。一人ひとりの人権を尊重するという司法の責任を放棄した判決といえます。

 原告らは「国は戦争の後始末をきちんとせよ」をスローガンに、国の法的責任を認めることを求めてきました。しかし判決は、被災者の実態調査などを行わずにきた国の怠慢について「国家の道義的責任はある」としつつも、法的責任に言及しませんでした。

 判決は「原告らの受けた苦痛や労苦には計り知れないものがあったことは明らかである」と被害事実を認定しました。そうであるならば、国の法的責任を認めるべきです。

 1972年、空襲被災者の援護を求める「戦時災害援護法案」が議員立法として提案されました。以来15年間、立法のための議論がされました。しかし、自民党政府は「(空襲被災者は)戦時中、国との雇用関係にない」という理由で反対してきました。追悼碑や記念館の建設、犠牲者氏名の記録もしていません。

 原告団の平均年齢は77歳、最高齢は91歳です。犠牲者に残された時間はありません。政府・国会は判決で認定された空襲被災者の苦痛や労苦を真摯(しんし)に受けとめ、即立法化へ踏み出すべきです。(本吉真希)



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