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2009年12月5日(土)「しんぶん赤旗」

核積載艦寄港の公然化

田中内閣時代に検討

新原氏がシンポで暴露


 米軍による日本への核兵器持ち込み密約に関し、田中内閣時代の1974年、日本政府が核積載米艦船の日本寄港を公然化しようとひそかに検討していたことが米政府解禁文書で分かりました。非核の政府を求める会が4日に都内で開いたシンポジウムで、国際問題研究者の新原昭治氏が明らかにしました。

 日本への核持ち込みを公然化させる動きは、74年9月10日、ラロック米海軍退役少将が、核積載可能な米軍艦船が日本などに寄港する際、核兵器を降ろすことはないと米議会で証言し、大きな衝撃が広がったのを受けたもの。新原氏が入手した米政府解禁文書は、日本国民の間で米軍艦船による核持ち込みへの批判が高まる中で、キッシンジャー米国務長官が同年11月13日に東京の米大使館にあてた電報です。

 「核論議に関する日本政府の見解」を主題にしたこの電報は、安川壮駐米大使とハビブ米国務次官補が「核問題」について話し合ったことを紹介。安川大使の話として「田中(角栄首相)も、大平(正芳蔵相)も××(この個所の約30字分が非開示)問題を解決し、公然たる立場をとるための断固とした行動が必要だと引き続き確信している」とし、核積載艦船の日本寄港を公然化させる動きを指摘しています。

 一方で電報は「木村(俊夫外相)はためらっているようだ」と指摘。ただ、木村氏自身は、新聞記者の取材に、日本への核持ち込みが事実であることを認め、「うそをつき通すことには耐えられないので、…『今後は事前協議の上、一部の(核)持ち込みを認める』という方向でアメリカと話し合おうとした」と証言しています。(堀越作治氏著『戦後政治13の証言』)

 結局、田中内閣は金脈問題で同年12月に総辞職し、核積載艦船の寄港を公然化する動きは立ち消えになります。こうした一連の経過は、国民の非核世論と運動、野党の追及に追い詰められながらも、結局は核密約に固執し、国民を欺き続けた日本政府の対米従属性を示しています。



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