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2009年9月30日(水)「しんぶん赤旗」

茨城・東海 臨界事故から10年

教訓は生かされたか


 10年前の1999年9月30日、茨城県東海村で、原子力開発においてあってはならないとされる臨界事故が発生しました。強烈な放射線を浴びた3人の作業員のうち、2人が犠牲になりました。放射線は約2キロ離れた日本原子力研究所那珂研究所でも検出され、多くの住民が被ばくしました。

 事故を起こしたのは、核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)の東海事業所です。高速増殖実験炉「常陽」向けの核燃料精製をしていました。臨界事故についての十分な教育もなされていない作業員が、手作業で高濃縮のウラン溶液を扱っていました。

 科学技術庁(当時)と原子力安全委員会は、本来適用してはならない低濃縮ウラン施設対象の審査指針をもとに施設の安全審査を行い、臨界事故対策のないまま認可していました。7年間にわたって立ち入り検査も行われていませんでした。

 JCO臨界事故は、世界にも衝撃を与えました。「安全神話」をふりまき、基本的な安全対策を欠いているとして、日本の原子力行政に各国から批判の声があがりました。


解説

「安全神話」の放棄こそ

 「(原子力の開発利用を)誤れば人類に大きな災害をもたらしかねない。その一端は、わずか1ミリグラムのウラン核分裂で発生した放射線があれだけの災害を引き起こしたことからも実感できる」―JCO臨界事故から1年近く後に発表された原子力安全白書(1999年版)の「はしがき」に書かれています。日本の原子力行政に、この教訓は生かされているでしょうか。

 青森県六ケ所村に建設された再処理工場(原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出すための工場)は、トラブルが続発し、見通しがたたない状況になっています。技術が未確立のまま、強引に計画を進めてきた結果です。

 プルトニウムを燃料として使用するはずだった原発、高速増殖炉「もんじゅ」は、1995年8月に重大事故を起こし、14年間運転を停止したままです。運転開始前に、政府は「技術は確立している」と説明していました。この説明が事故によって破たんした「もんじゅ」を、再び運転しようとしています。

 電力会社は、原発の危険を増大させることが明らかなプルサーマル(現在の原発でプルトニウムを燃料に使用する)を、この秋にも実施しようとしています。

 新潟県中越沖地震(2007年7月)や今年8月に起きた駿河湾地震は、原発の地震対策の根拠の危うさをまざまざと示しました。

 これらは、原子力エネルギーを安全に使いこなすだけの技術に達していないなかで、利用の拡大が進められていることを示しています。

 JCO事故の後、行政から独立した原子力の規制機関が必要だとの世論が大きく広がりました。しかし、原子力利用の規制を担うべき原子力安全・保安院は、原発を推進する立場の経済産業省の一部門となっています。

 原子力安全委員会が設置したJCO事故の調査委員会の報告書は、「いわゆる原子力の『安全神話』や観念的な『絶対安全』という標語は捨てられなければならない」と指摘しました。

 しかし、プルサーマルの実施や、「もんじゅ」再開を前にして、盛んに「安全」宣伝が行われています。東海地震の震源域にある浜岡原発も、「東海地震が起きても安全だ」とくりかえしています。

 科学・技術の到達点を無視した、これらの安全宣伝は、「人類に大きな災害をもたらしかねない」ものです。

 JCO臨界事故の教訓を生かす道は、原子力の利用技術が未成熟であるという現実を直視し、原子力政策全般を根本的に見直すきっかけとすることです。(前田利夫)


 臨界事故 臨界は核分裂反応が連鎖的に起きる状態。核分裂性のウランやプルトニウムは一定量を超えると臨界状態に達します。意図せずに臨界状態になるのが臨界事故です。原子力発電では臨界が暴走しないように制御しています。


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