2009年1月14日(水)「しんぶん赤旗」

韓国から建国勲章うけた弁護士の布施辰治とは?


 〈問い〉日本人でただ一人、韓国の建国勲章をうけた弁護士、布施辰治とは、どんな人ですか?(福岡・一読者)

 〈答え〉布施辰治は、「生くべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆のために」を座右の銘に、明治、大正、昭和の50年間を生きた弁護士です。

 1880年、宮城県石巻市の農家に生まれた布施は、すでに30代で東京屈指のらつ腕弁護士として知られていました。しかし、トルストイの影響をうけて人道主義を貫こうと、1920年5月15日、40歳のときに「自己革命の告白」を公表。以後の弁護を「官権の人権蹂躙(じゅうりん)に泣く冤罪(えんざい)者」「財閥の横暴の枉屈(おうくつ)に悩む弱者」「心理の主張を圧迫する筆禍舌禍の言論犯」「無産階級の社会運動の迫害」事件に限ることを宣言します。

 その宣言の3日後、布施は、東京市電ストライキ事件で獄中にあった組合員に「卿(きょう)らと苦汁を分けてのむ覚悟をもって弁護にあたる」という手紙を送ります。

 その後、布施は、虐げられた民―植民地朝鮮・台湾の民、廓(くるわ)にしばられている娼婦(しょうふ)酌婦、貧しき借地借家人、労働者、小作人―の弁護に奔走。21年には、自由法曹団を創立、28年の最初の総選挙に労農党公認で新潟2区から立候補、日本共産党への大弾圧「3・15事件」などの弁護をし、弁護士資格をはく奪され、39年、治安維持法違反で懲役2年の刑を受けます。

 第2次世界大戦の敗北で弁護士資格が回復されると、布施は再建された自由法曹団の顧問となり、三鷹事件、松川事件、メーデー事件などの弁護活動を精力的にこなし、53年9月13日、73歳の生涯を閉じました。

 朝鮮のかかわりでいうと、布施は当初から韓国併合に反対で、1911年には「朝鮮独立運動に敬意を表す」という一文で検察の取り調べを受けます。19年2月8日に起きた「独立宣言事件」で11人の弁護を引き受けたのが朝鮮人の弁護活動の最初といわれます。

 23年4月、雑誌『赤旗』創刊号に「日韓の併合は、ドンナに表面を飾っても、裏面の実際は、資本主義的帝国主義の侵略であったと思う。…朝鮮民衆の解放運動に特段の注意と努力を献じる要ありと信じます」と書き、その後たびたび朝鮮に渡り、朝鮮共産党の弁護をしたりしました。

 こうしたことから、韓国政府は04年10月、朝鮮独立運動に寄与した人物に与える「建国勲章」を、日本人で初めて布施に授与しました。

 戦争末期、布施の最大の悲しみは、京大哲学科出身で詩人でもあった三男、杜生が治安維持法違反で逮捕され、44年2月4日、29歳で、京都の山科監獄で獄死したことでした。(喜)

〈参考〉高史明、大石進、李熒娘、李圭洙共著『布施辰治と朝鮮』(高麗博物館)、布施柑治『ある弁護士の生涯』(岩波新書)

 〔2009・1・14(水)〕


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