2008年8月19日(火)「しんぶん赤旗」

「決定的場面」と日本共産党

WTO協定問題会

一貫して日本農業を守る コメの輸入自由化に反対


 日本農業は、就業者も農地も国内生産も減り続けています。供給熱量でみた食料自給率は二〇〇六年度に39%(〇七年度は40%)まで低下しました。農業を荒廃させる重要な転機となったのは、コメを含む農産物輸入を全面自由化する世界貿易機関(WTO)の農業協定を受け入れ、日本の農業・食料政策の基本をWTO協定に従属させたことでした。日本共産党は、その「決定的場面」で農業を守って奮闘しました。

 日本の農業の荒廃には、一九六一年制定の「農業基本法」以来の長い経緯があります。歴代の政府は、農産物の輸入自由化を進め、価格政策など必要な生産対策を放棄してきました。

非自民政権は

 九三年十二月十四日未明のことでした。細川護煕首相(当時)は記者会見で、ジュネーブでの関税貿易一般協定(GATT)ウルグアイ・ラウンド交渉の「合意」を受け入れると発表しました。WTO協定の基となった「合意」です。発表文は、「部分的とはいえ、コメの輸入に道を開くことは、…まさに断腸の思い」と述べていました。コメ輸入の扉がこじ開けられた瞬間でした。

 これに対し、日本共産党の志位和夫書記局長(当時)は同日午前三時すぎ、国会内で記者会見し、米国の貿易・通商政策に屈従し、日本農業を破壊する暴挙だと批判しました。

 細川内閣は、当時の日本新党、新生党、新党さきがけ、社会党、公明党、民社党、社会民主連合(社民連)、民主改革連合(民改連)の八党・会派の連立で同年八月に成立しました。「非自民」を一枚看板にしていましたが、実際には、自民党政府が敷いた農業破壊のレールの上を走ったのでした。社会党にいたっては、「反対だが、了とする」、つまり「合意」には反対だが、それを政府が受け入れることは了解するという支離滅裂ぶりでした。

自社さ政権も

 翌九四年十二月八日には、「ウルグアイ・ラウンド合意」に基づくWTO協定とその関連法が国会を通過しました。法案を提出したのは、自民党、社会党、新党さきがけの三党が連立した村山富市内閣でした。与党はもちろん、野党に回っていた細川前内閣の旧連立与党も法案に賛成しました。日本共産党だけが、衆参の特別委員会と本会議を通して反対を貫きました。

 日本共産党の志位和夫書記局長(当時)は同日、談話を発表し、WTO協定の問題点を批判し、その不公正な内容の改正を求めました。同談話は次のように述べました。

 「各国の経済主権をいちじるしく制約し、多国籍企業と大国の利益のために発展途上国に多大の犠牲を強要するWTO協定の根本的性格も明確となった。WTO協定が発効し実際に動きだせば、その矛盾が噴き出し、各国国民のあらたな怒りをよびおこすことは必至である」

 「協定は国会で強行されたが、日本の農業をみすみす荒廃の道にみちびくことを絶対に許してはならない。主食・コメまで外国にたより、多国籍企業のいいなりに食品の安全基準を緩和することは、国民の生命と健康をおびやかし、民族の自立の基盤をくずすものである」

 このように、ウルグアイ・ラウンド交渉からWTO成立にかけ、日本農業の前途が危ぶまれたとき、日本共産党だけが農業を守る立場を貫きました。その後も離合集散をくり返して今日にいたっている他の諸党は、与党のときも野党に回ったときも、「自由貿易」推進の大合唱に加わり、農業をかえりみませんでした。

共同追求の党

 今日、世界的な食料不足が危ぐされています。政情不安を招いた国もあります。世界の食料事情は、「自由貿易」だけで解決できるものではありません。日本にとっても、農業を再生させ、食料自給率を急速に高めることが求められています。

 そのために、日本共産党は「農業再生プラン」を発表し、生産者も消費者も含めた国民的共同を進める努力を行っています。それができるのも、WTOをめぐって日本農業の前途が問われた「決定的場面」でも、日本の農業を守る国益を貫いた党だからです。


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