2008年5月10日(土)「しんぶん赤旗」

戦前の北海道・生活図画教育事件とは?


〈問い〉

戦前の北海道で弾圧された「生活図画教育」とは?

 (北海道・一読者)

〈答え〉 生活図画教育とは、1932〜40年、北海道旭川師範学校・熊田満佐吾、旭川中学校・上野成之両教師とその教え子たちが実践した美術教育です。

 それは、教え子たちに、身の回りの生活を見つめさせ、題材を選び、自らと現実の生活をより良く変革することをめざす絵の教育でした。しかし、戦争を推し進める国家権力はこうした教育さえ許さず、41年北海道綴方(つづりかた)教育連盟への弾圧に次いでこれらの教師たちを弾圧しました。これが「生活図画事件」といわれるものです。

 熊田は「リアリズムの図画を通してその時代の現実を正しく反映させなければならない」として「美術とは何か」「美術は人間に何をもたらすか」を学生に討論させ、工場などで働く人びとを描かせました。

 上野は、31〜35年に続いた大凶作の現実に生徒の目を向けさせ、「凶作地の人たちを救おう」「欠食児童に学用品を送ろう」をテーマに美術部員にポスターを共同制作させました。ポスター「スペイン動乱は何をもたらしたか」の制作では「戦争という現実を考え直してみる目を要求した」と後年、語っています。

 これらの実践は、32年旭川中等学校美術連盟の組織へと発展、卒業生は「北風画会」を結成し毎年、旭川市内で展覧会を開き、市民に親しまれました。

 教師となった卒業生は、生活図画教育のみならず、生活綴方にも取り組み、アイヌ差別やいじめの解決、地域青年団の活動など、戦後民主教育の先駆ともいえる実践をしました。

 41年1月北海道綴方教育連盟の教師53人とともに熊田は検挙されました。師範学校は美術部員を取り調べ、卒業直前に5年生5人を留年・思想善導、1人を放校にします。9月、特高は留年の5人を含む熊田の教え子(国民学校教師)21人、上野と教え子3人を検挙します。軍隊に入隊または入隊直前3人(判明分)は、後に憲兵に取り調べを受け、1人が虐待で亡くなっています。

 裁判では、稲刈り途中で腰を伸ばした農婦を描いた「凶作地の人たちを救おう」のポスターについて、「地主ト凶作ノ桎梏(しっこく)ニ喘(あえ)グ農民ヲ資本主義社会機構ヨリ解放セントスル階級思想ヲ啓蒙スルモノ」として処断し、これらの絵を総括して「プロレタリアートによる社会変革に必要な階級的感情及意欲を培養し昂揚する為の絵画である」(旭川区裁堀口検事)と断定。治安維持法目的遂行罪として熊田を3年半、上野、本間勝四郎を2年半の実刑に、12人を執行猶予付の有罪としました。生活綴方と並んで戦前民主教育の一つの峰ともいえる生活図画教育を弾圧した80日後、日本はマレー半島と真珠湾に攻撃をしかけました。(汎)

 〈参考〉宮田汎編著『生活図画事件』〔自費出版、連絡先電話&FAX011(385)5753)〕

 〔2008・5・10(土)〕


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