2008年2月13日(水)「しんぶん赤旗」

70年ぶり名誉回復された反戦僧侶、竹中彰元とは?


 〈問い〉 真宗大谷派が昨年秋に名誉回復をはかった竹中彰元とはどんな人だったのですか? 当時、竹中氏のような反戦を主張した僧侶はほかにもいたのですか?(愛知・一読者)

 〈答え〉 昨年(07年)10月19日、彰元が住職を勤めていた岐阜県の真宗大谷派明泉寺で竹中彰元師復権顕彰大会が開かれ、1937年秋に「戦争は罪悪」と主張し、禁固刑をうけた彰元にたいして、宗門が布教使資格を剥奪(はくだつ)し、僧侶身分を最下位としたことを正式に謝罪し、宗務総長が「宗派が犯した大きな過ち」という声明を発表しました。改憲反対の態度を表明している同派の大垣教区は「『平和憲法』を改編しようという動きが急であります。このような状況のなかでこそ、我々は、師の名誉を回復し、復権・顕彰していかなければなりません」と決議しています。

 彰元師略年表によれば、同師は1867年(明治維新前年)に明泉寺に生まれ、住職の父が没した17歳のときに住職となりました。現在の東洋大学や大谷大学などで学び、30代後半から大谷派教団の特命布教使として全国的に活動しました。名前は慈元でしたが、50歳のころ大谷派門首(当時は法主)の名前の一文字を受けて彰元と名乗った、とありますから、宗門内では功労者とみなされていたようです。

 日本の中国侵略が全面戦争化した1937年、彰元69歳のとき、9月15日の出征兵士見送りのさい、次いで10月10日の近隣寺院での法要のさいに「このたびの事変について、自分は侵略のように考える」、「戦争はたくさんの彼我の人命を損し悲惨の極みであり罪悪である」と話しました。この言動によって逮捕され、陸軍刑法の流言飛語罪で禁固4月の刑をうけました(この裁判中に南京大虐殺が起こっています)。勾留中に面会者にたいして彰元は「私はあくまで真の仏教の精神で言っている、決して頭を下げる気持ちはない」と言い、この態度をつらぬき、終戦の年の10月21日に77歳で没しました。死の直前、「戦争に負けておじいさんの言うとおりになったね」という孫ににっこりうなずいたということです。

 当時の内務省警保局は、諸宗教のほとんど全部が教義教理中に反国体思想の素因を内包している、と宗教者を取り締まりました。キリスト教諸系統、各種新興宗教や新興仏教青年同盟への弾圧が知られていますが、伝統仏教僧侶では、三重県の真宗大谷派三宝寺住職・植木徹誠、東京の法華宗僧侶・猪股秀道、名古屋市の天台宗観音寺住職・日置即全、東京の日蓮正宗僧侶・藤本秀之助、豊橋市の真宗大谷派淨園寺住職・藤井静宣、名古屋市の真言宗系僧侶・山本妙善、鹿児島県の臨済宗僧侶・三浦聖典などが反軍的反政府的言動によって逮捕、送検されています。(平)

 〔参考〕明石博隆・松浦総三編『昭和特高弾圧史 宗教人にたいする弾圧』太平出版社

 〔2008・2・13(水)〕


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