2007年10月30日(火)「しんぶん赤旗」

宴席に防衛長官経験者

守屋前次官が認める

衆院証人喚問 赤嶺議員が追及


 守屋武昌前防衛事務次官の証人喚問が二十九日、衆院テロ特別委員会で行われ、守屋氏は、軍需専門商社「山田洋行」による接待に、自身だけではなく、防衛庁長官経験者を含む複数の政治家も同席していたことを認めました。日本共産党の赤嶺政賢議員の追及で明らかになったものです。


給油量 米に疑惑否定要請

写真

(写真)喚問する赤嶺政賢議員(左)と守屋前事務次官=29日、衆院テロ特別委

 赤嶺氏が「山田洋行」の宮崎元伸元専務による接待に同席していた政治家をただしたのに対し、守屋氏は「(政治家は)複数だったと思う」と答弁。時期は「去年か一昨年ではなかったかと思う」と述べ、「いろんな政治家がいる席に宮崎さんも入っていた」場合と、「少数の席に一人の先生(政治家)がいた」場合が各一回あったことを明らかにしました。

 政治家の中には「防衛庁長官経験者もいた」と述べましたが、赤嶺氏が名前を明らかにするよう迫ったのに対し、「特定の名前を挙げるのは迷惑をかける」と証言を拒否しました。

 また守屋氏は、与党議員の質問に、宮崎氏からのゴルフ接待は十一年間におよび、総数では二百回以上にのぼることも明らかにしました。宮崎氏からは、ゴルフセットを二回にわたってもらったほか、ネクタイをもらう代わりに守屋氏もワインやたばこを贈るなどの密接な関係だったことも認めました。

 さらに海上自衛隊の補給艦がインド洋で米軍補給艦に給油した量を約二十万ガロンだと偽りの説明をし、「誤り」に気づきながら情報を隠ぺいしてきた問題で守屋氏は、発覚した二〇〇三年五月に、在日米大使館公使に「(法違反の)疑惑を及ぼす可能性があるので、そういうことはないと米政府としてきちっといってほしい」と求めたことを明らかにしました。

 これに応えて米側から、法の目的外使用はないとする回答が防衛省に届いており、日米両政府が口裏合わせをしていたことが浮き彫りになりました。

 しかし、赤嶺氏が実際の給油量が約八十万ガロンだったことを隠ぺいしていた問題を追及すると、「覚えていない」「承知していない」という答弁を何度も繰り返しました。赤嶺氏は「ここにきて、記憶にないというのは許されない」と批判しました。


疑惑深まった 再喚問を

市田氏会見

 日本共産党の市田忠義書記局長は二十九日、国会内で記者会見し、同日、衆院テロ特別委員会で行われた守屋武昌前防衛事務次官の証人喚問について「ますます疑惑が深まったというのが印象だ」と述べました。

 市田氏は「二つの大事な問題が明らかになった」と指摘しました。

 一つは、守屋氏が、接待を受けた軍需専門商社「山田洋行」の元専務との宴席に、旧防衛庁の長官経験者が同席していたことを認めたことです。

 市田氏は「守屋氏は、相手に迷惑がかかるからといって名前はいわなかったけれども、明らかになれば迷惑がかかるような話し合いがその宴席で行われていたということだ」と指摘。「官僚と軍需産業との癒着だけではなく、政界との癒着が明らかになった」と強調しました。

 第二には、“テロ特措法の目的以外には油は使われていない”ということをアメリカ大使館と口裏合わせしたことを喚問の中で自ら明らかにしたことです。イラク戦争に参加した米空母キティホークの艦長が、二〇〇三年五月の記者会見で“海上自衛隊から約八十万ガロンの給油を受けた”と述べ、海自の補給した油がイラク戦争に流用されている疑惑が大問題になった際、守屋氏はアメリカ大使館に、給油量が二十万ガロンか八十万ガロンだったかを確かめていませんでした。

 市田氏は「その後、当時の福田康夫官房長官や石破茂防衛庁長官は、“米側に確認したら、二十万ガロンだった”といったが、実際には確認していなかったということが明らかになった。米側に問い合わせを行ったのも当時、防衛局長だった守屋氏だったし、米側からの返事を受けたのも守屋氏だった」と述べました。

 最後に市田氏は、「衆院での守屋氏の再喚問、参院での喚問がますます必要になってきている」と強調。当時の防衛事務次官や官房長など他の関係者七人も国会によぶべきだと主張しました。


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