2007年8月17日(金)「しんぶん赤旗」
いのち輝く学校に
先生 生徒 親 みんなでつくりたい
教研全国集会
「たくさんの仲間がいることに力強さを感じる」「平和の大切さをどう伝えるのか、改めて考えさせられた」―。十六日、被爆地・広島で開幕した教研全国集会。開会全体集会が開かれた広島国際会議場には教職員をはじめ、父母や子どもたちの参加も目立ちます。(栗原千鶴)
渡辺えり子さん 反戦の思い語る
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宮城県から初めて参加した障害児学級を受け持つ男性教員(44)は「安倍首相のもと、八月に、この広島で集会を開催した意味は大きいと思う。現場では難しい問題も抱えていますが、集会に参加して学ぶことが、それをはね返す力になるだろうと期待しています」といいます。
広島市で中学校の非常勤講師として国語を教えている女性(34)も初参加です。「教科の分科会に出席し、教える上で、自信をもっていけるようにしたい」と期待を寄せます。
渡辺えり子さんの「未来をつくる―平和へのメッセージ」と題した講演は、自らの反戦の思いを身ぶり手ぶりを交えて情熱的に語りました。父親が行きたいといった広島の原爆資料館に連れてきたとき、父親は五分も見られなかったと紹介。「見たいといったのにどうして見られないのと怒りました。でも気持ちはわかる」と涙声に。「戦争を『必要悪』という人もいるけれど、私は絶対に戦争がなくなる時代がくると思っています。自分にできることを続けていきたい」と力強く語ると、共感の大きな拍手がわきました。
地元の教職員や父母、子どもたち百七十人による被爆地・広島の戦後の復興と教育の歩みを、合唱や朗読でつづる合唱構成「ヒロシマからいのち輝く」は、憲法・教育基本法のもとで実践されてきた平和と人間を大切にする教育が、未来を担う子どもたちのなかでしっかりと息づいていることを実感させるものでした。
合唱構成で舞台に立った小学六年生は「少しどきどきしたけど気持ちよかった」と笑顔。「私もいじめられている人をみたら助けている。テストが多いのはいやだ」と語りました。
香川県の小学校教師の女性(43)は四回目の参加。「平和への思いを肌で感じて、それを二学期から子どもたちに伝えていきたい。現場はだんだん管理が厳しくなっていますが、それに負けないで平和教育を実践していきたい」
二児の母(38)=広島市=は「教育の根本は命の大切さを伝えていくことだと思います。自分らしさを出せない、自分が大事と思えない、いまの教育を変えたい。全国から集まった先生たちの思いが教育現場に広がってほしいですね」と語りました。
「語り継がなければ」 被爆者ら体験語る
「教育のつどい2007」教育研究全国集会一日目の十六日夜、「ヒロシマをまなぶ『被爆体験を聞く会』」が開かれ、被爆者の元教師らが核兵器廃絶への思いを込めて体験を語りました。
元中学校教師の江種祐司さん(79)は十七歳のとき、勤労動員で爆心から六キロのところで被爆。自身も吹き飛ばされた窓ガラスの破片で頭にけがをしましたが、直後には救援活動を命じられ爆心地に入りました。
逃げてくる人たちは皮膚や肉がとけて、死体は黒焦げで人間と判別できないほどでした。
当初は思い出すだけで吐き気がし、戦後二十年以上は話すことはありませんでした。しかし、その後、原水爆禁止世界大会などに参加するなかで、語り継がなければと思うようになったといいます。
被爆後五十年たって原爆白内障になり、息子は三十九歳の若さでがんで亡くなったことを語り、「放射線は広島の街にも、私の体にも焼き付き、いまも生き続けているのです」とのべました。
地図や写真を示しながら当時の状況を生々しく説明し、「アメリカは市民が集中して住んでいるところを狙って原爆を投下した。こういうことが人間として許せますか」と訴える江種さん。参加者はじっと聞き入りました。
埼玉県から参加した高校教師(41)は「原爆の被害が六十二年前のことではなく、いまも続いていることを教えられ、核兵器の恐ろしさを改めて実感しました。日本がふたたび戦争に足を踏み出そうとしているいま、直接体験のない私たちも、いろんな場面で子どもたちに語り継いでいかなければならないと思います」と話していました。