2007年6月10日(日)「しんぶん赤旗」

「集団自決」 軍強制の削除に怒り

若者も戦争体験者も

沖縄県民大会に3500人

教科書検定撤回を


 教科書検定で沖縄戦「集団自決」の記述から軍の強制を文部科学省が削除・修正させたことに怒りが膨れ上がっています。九日、約三千五百人(主催者発表)が集まり検定の撤回を求める「沖縄戦の歴史歪曲(わいきょく)を許さない沖縄県民大会」(主催・同大会実行委員会)が沖縄県那覇市内で開かれました。同検定問題では、中学生が議会に撤回を求める意見書を採決するよう請願するなどの動きも生まれています。(藤川良太)


 集会には六十三団体が参加し、文部科学省の検定意見を批判する発言が相次ぎました。

 高嶋伸欣実行委員会代表があいさつしました。高嶋氏は「教科書はよりよい記述に換えた方がいいと説明ができれば、書き換えていいことになってる。今回は歴史の事実を歪曲した改悪なので元の記述の方がはるかに適正であり、うそを教えようとしていることになるので十分訂正を求めていける」と呼びかけました。

 県内の高校生や大学生でつくる「虹の会」は三年前からひめゆり学徒隊から話を聞くなどの活動をしてきました。検定問題では署名を呼びかけ、生徒会が中心となって学校ぐるみで賛同した学校もありました。同会の大学生は「検定意見を付けた文科省の人たちはどれだけ体験者の話を聞いたことがあるのか。記述が削られることによって、実相が見えなくなってしまう。教科書から沖縄戦の実相が削られようとしていることに強く抗議します」と語りました。

軍の命令あった

 軍の命令・強制・誘導はあった―。瑞慶覧(ずけらん)長方さん(75)は沖縄戦の体験を語りました。

 ――一九四五年は十三歳でした。五月二十三日、隠れていた自分たちの防空壕(ごう)を日本軍から追い出されました。その後、沖縄戦でも激戦となった南部を砲弾が飛び交うなかさまよいました。

 当時、「天皇の子」である日本人は鬼畜米英に捕まえられ捕虜にされたら、これ以上の辱めはないと、学校でも社会でも皇民化教育が徹底されていました。捕虜になるなら「自決」しなさいと手榴(てりゅう)弾を渡された人たちもいました。手榴弾は当時、軍の大切な武器でした。

 六月十七日、現在の糸満市に壕を掘り避難していました。知り合いのおじさんは手榴弾を二つ渡されていました。そのおじさんから、手榴弾を一つ渡されました。壕内に避難していた十七人は、もし米軍が来たら一緒に「自決」しようと決めました。息を潜めて隠れていましたが、幸い米軍はきませんでした。

 六月十九日、捕虜になった日本人が説得に来ました。日本兵はその人を目の前で虐殺しました―。

 このように話したあと、瑞慶覧さんは「いま、歴史を歪曲しようとすることには断固として反対していかなければならない」と声を上げました。


政党・平和団体など発言

 集会では、政党、平和団体、労組の幹部が次々に発言しました。

 日本共産党の赤嶺政賢沖縄県委員長(衆院議員)は「憲法改正」「靖国公式参拝の定着」「より良い教科書を子供たちに」などをかかげる日本会議(一九九七年発足)に言及。安倍政権の閣僚十八人中十五人が関連議連に参加する日本会議が十年前、教科書に事実でないものなどがあるとして、“大東亜戦争の沖縄戦で民間人が軍の命令で集団自決させられたという非難がある”と沖縄戦を例に挙げていたことを紹介しました。

 文科省が、裁判が起きていることを理由に「集団自決」の軍の命令・誘導などの記述を書き換えるよう求める検定意見を出したことに対して、「(『集団自決』に)追い詰められた県民は一人もいなかったということになる。そんなことは絶対に許せない」と訴えました。

 民主党、社民党、沖縄社会大衆党の代表もそれぞれ訴えました。



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