2007年3月17日(土)「しんぶん赤旗」

フランス シラク大統領の12年

対米自主外交で成果

内政 失業・貧困・格差残る


 フランスのシラク大統領は五月の任期満了で引退することを明らかにしました。一九九五年に保守の共和国連合を基盤に選挙で勝利し、大統領に就任。二〇〇二年に再選され、在職十二年に及びます。(パリ=浅田信幸)


 国際分野で際立ったのは対米自主外交でした。二〇〇三年のイラク戦争開始では、当時のシュレーダー独首相とスクラムを組み、米ブッシュ大統領と英ブレア首相が進める武力行使に反対の態度を貫きました。過去に例がない開戦前の空前の規模に達した反戦運動とともに、私たちの記憶に新しいところです。

 ブッシュ大統領との対立の根底にあったのは、世界観や歴史観の違いでした。

 世界を敵と味方に分け、敵対者を「悪」、みずからを「善」の代表とみなし、先制攻撃論を振りかざして単独行動主義に走るブッシュ大統領。これに対して、シラク大統領の持論は「世界は多極」であり、国際関係の土台は「国連を中心とした多国間主義に基づく外交」でなければならないという信念でした。

単独行動認めず

 同年六月、フランスのエビアンで開かれた主要国首脳会議(サミット)で、シラク氏はこう断言しました。

 「国際社会、国連安保理によって容認されないいっさいの軍事行動は不当、不法である」「私は(イラク戦争を)認めなかったし、今後とも認めない」「単独で戦争することはできるが、単独で平和をつくることはもっとはるかに困難だ」「総じて賢明さというのは、国際的なルールを持ち、それを守ることだ。これが私の立場だ」

 大統領就任から日も浅い九五年七月、第二次大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺に関連して、当時の仏かいらい政権がユダヤ人の狩り出しと収容所送りに協力した事実を、国家元首として初めて「フランス国家の責任」だと認めて謝罪。第二次大戦終結六十年の記念行事が繰り返された〇四年から〇五年にかけては「歴史の記憶」をたびたび強調しました。〇六年にはシュレーダー前首相との合意に基づき、独仏の歴史的和解を象徴する共同歴史教科書が発行されています。

 しかし過去の植民地支配の問題では、大統領個人の意向がどうであれ、「反省」は足踏み状態が続きました。とくにシラク氏が熱望したアルジェリアとの関係改善と友好条約締結は、過去の植民地支配とつながる勢力の巻き返しもあり、未完に終わっています。

 被爆国日本として忘れられないシラク大統領の所業に、九五年の大統領就任直後に実行した一連の核実験があります。

 九六年の国連総会における包括的核実験禁止条約(CTBT)採択を前に、爆発実験を経ずに核兵器の保守・近代化を進めることができるシミュレーション技術を取得するため、駆け込み的に実施したものです。内外の批判を浴びながら、九五年九月―九六年一月にかけて、南太平洋仏領ポリネシアで計六回の地下実験を強行しました。

核廃絶に無関心

 現在たたかわれている大統領選挙の有力候補がそろって核抑止力の維持を公約に掲げる国柄ですから、シラク氏だけを批判するのは的を射ませんが、核兵器廃絶にほとんど関心を寄せなかった事実は残ります。

 内政上の問題では「社会的亀裂」を挙げなければなりません。これは九五年大統領選挙でシラク氏が最も強調したテーマでした。失業、貧困、格差拡大―今日にもそのまま残る問題です。

 大統領は十一日のテレビ演説で、在職十二年間に失業率を11・5%から8・6%にまで下げた成果を誇りました。しかし〇五年秋の全国大都市の郊外で発生した「暴動」にみられるように、貧困と差別は解消には程遠く、一部ではいっそう深刻化しています。

 「社会的亀裂」の修復はシラク氏がやり残した最大の問題であり、30%台の支持率の低さに悩まされた理由でもありました。


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