日本共産党

2002年11月18日(月)「しんぶん赤旗」

イラク和平ミッションの24日間(7)

党国際局長・参院議員 緒方靖夫

“ヒロシマ繰り返すな”の誓い固く


 バグダッドなどイラク国内では、十年以上続く経済制裁のもとで国民生活の困難が見てとれました。その一方で、市民の表情は平穏で、戦争が近いとかそれに備えるという雰囲気は感じられませんでした。仕事を終えて午後十時すぎに、チグリス川ぞいに並ぶレストランに行って夜中まで食事するという機会がありましたが、中東特有のにぎやかな音楽が鳴り響き、にぎわっていました。

 市民は、英国のBBC放送など外国の放送を聞いて、イラク問題をめぐる動きをよく知っているもようです。外務省の職員は、「戦争が近いかもしれないが、イラクはこの二十年間に二度も戦争をしてきた。イランとの戦争は八年続いた。だから戦争に慣れていることもある」と、平穏に見える理由を説明していました。

戦火の町バスラ

 南部のイラク第二の都市バスラに車で行きました。往復のルートを変えて、千五百キロ走る強行日程でした。常時時速一七〇キロのスピードです。事故がおきたら即死だと何度も無事を祈りました。この「アラブ・スピード」の一方で、バビロニア遺跡に代表されるように長い歴史があり、その単位で時間をはかる「アラブ時間」があります。攻撃を急ぐアメリカとはテンポがまったくあわないもう一方の現実も見ました。

 南下していくと軍の検問が何カ所もあり、警戒が厳しくなりました。理由を聞くと「南部はシーア派が多く、反政府の動きが強いので、警戒を厳重にしている」という答えが返ってきました。バスラは、バグダッドと比べても、物資が不足して人々の生活が苦しい様子がよくわかりました。一言でいえば、戦争で引きちぎられた町という印象です。

 ここは、幾度も戦火に覆われた町です。シャトルアラブ川を船で上下して船上からも見ましたが、イランとの国境の森が見える位置は、イランとの行き来が始まっている今日でも緊張しているように見えました。河畔には、イランとの戦争で犠牲になったイラク軍将校四十二人の銅像があり、イランをいっせいに指さしています。怨念(おんねん)の象徴です。またバスラからはクウェートの国境までわずか一時間。ここに軍を集結して九〇年八月、わずか六時間でクウェートを制圧したのです。

 政府は反政府的な動きが強い南部に必要な生活物資の補給をしていないためにいっそう貧しいという説明もありました。戦争が暮らしを悪くしているという見本を目の当たりにしているという思いでした。

 イラク国内にあるシーア派の聖地であるカルバラ、ナジャフも訪問しました。ここは、シーア派が多数を占めるイランからの多数の巡礼者でにぎわっており、イラクで唯一活気を感じた場所でした。

 イラクの現状と、その後に訪問した、同じ天然資源の豊かな湾岸諸国の繁栄とを比較して、イラクが戦争をおこさなければ、国民生活もインフラもどれだけ豊かになっていただろうかと痛感させられました。イラクでは、ガソリンは一リットルあたり日本円で三、四円。ミネラルウオーターはその十倍です。資源は大きな武器であるのに、戦争によりその活用も妨げられているのです。

誓いの代名詞

 カタールもアラブ首長国連邦も建国三十年で、砂漠のなかに高層の超近代都市を築きました。四年後のドーハ(カタール)・アジア競技大会開催に、カタール政府ははりきっています。人口六十万のこの国は、知名度アップにとりくんでいます。日本サッカーの「ドーハの悲劇」も昨年十一月のWTO閣僚会議もプラスになる、有名なアルジャジーラ・テレビ放送局の存在も喜んでいました。「放送局は小さいが大きなノイズ(音)を出す放送」といわれている通りでした。

 アラブ首長国連邦のアブダビは砂漠を海水の淡水化で緑化した町で、その結果温度を下げた環境保全のモデルの町。天然資源の恩恵で、生活水準が世界屈指で町の豪邸に住む人も、週末には砂漠でテント暮らしとか。先祖返りをするのです。

 訪問中、ヒロシマ、ナガサキという言葉をよく聞きました。戦争の悲惨さを表し、二度と戦争をしない誓いの代名詞です。中東で新たなヒロシマを繰り返してはならない―現実の合言葉になっているように思えました。(つづく)

 


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