日本共産党

2002年10月11日(金)「しんぶん赤旗」

北京の五日間(25)

中央委員会議長 不破哲三

28日 江沢民総書記との首脳会談(五)


最近のヨーロッパで、注目される二つの党

 私が、首脳会談の最後の発言で紹介したのは、ドイツの民主的社会主義党とチェコのチェコ・モラビア共産党と、この二つの党だった。どちらも、崩壊した旧体制で政権党の地位にあった党である。

 ドイツでは、東ドイツの政権党だった社会主義統一党の主要部分が、崩壊後、民主的社会主義党と改名し、統一ドイツにおける一政党として、活動している。チェコでは、チェコスロバキアが、体制崩壊後、チェコとスロバキアの二つの国に分かれ、政権党であったチェコスロバキア共産党のうち、チェコで活動していた部分がチェコ・モラビア共産党の名で活動を続けている。どちらも、日本共産党とは、友好関係の深い党である。私は、この二つの党が、旧体制時代の問題点にそれぞれきっぱりと決着をつけたことに敬意をはらっていたが、その党が、最近の選挙でならんで注目すべき前進を記録したのだった。

 まず、ドイツだが、ドイツの連邦議会の選挙制度には、得票率5%未満の政党には比例代表選挙での議席をあたえない、という少数政党切り捨ての制度がある。それ以下の政党は、小選挙区でえた議席しかえられないことになる。ドイツ民主的社会主義党は、旧東ドイツ地域に主要な政治的基盤をもつ政党だが、その不利な条件に打ち勝って、九八年の国会選挙で、全国規模で5%以上の得票率をかちとることにはじめて成功したのだった(それだけに、中国訪問の翌月おこなわれた国会選挙で、民主的社会主義党が、得票率4%台に後退し、比例代表選挙での議席を失ったのは、たいへん残念なことだった)。

 チェコ・モラビア共産党は、選挙での連続的な前進、とくに今年の躍進が特徴である。九二年の最初の総選挙では「左翼ブロック」として三十五議席をえ、第二党の地位をしめたが、この「ブロック」は新党結成などでやがて解体し、共産党の議席は十議席にまで縮小した。しかし、次の九六年総選挙では二十二議席に倍増、九八年総選挙では二十四議席とさらに議席を増やし、今年六月の総選挙では、他の諸党が軒並み議席を減らすなかで、四十一議席への躍進をとげた。

旧体制ときっぱり決着をつけて

 この二つの党が旧体制に決着をつけたやり方は、私たちにそれぞれなりの深い印象を残したものだった。

 ドイツの場合には、私たちと東ドイツの政権党とのあいだに、長い論争問題があった。中曽根首相が東ドイツを訪問したとき、ドイツの党機関紙が「平和の政治家」のうたい文句で礼賛する大キャンペーンを張ったのである。私たちがその不正確さを指摘したところ、「自分たちの評価に間違いはない」との猛烈な反論でいわば食ってかかられたのである。気持ちのいい経験ではなかった。

 しかし、私たちが驚かされたのは、むしろそのあとだった。体制崩壊後、民主的社会主義党として新発足した党の責任者となったモドロウ氏から、あれはドイツ側の誤りだったという、実に率直な反省の連絡がとどいたのである。その後、訪日したモドロウ氏に会って話してみると、自分たちは以前からドイツ側のこの態度は間違いだと主張していたのだが、当時の指導部が耳を貸さなかったのだ、ということだった。

 チェコ・モラビア共産党の場合は、二年前のわが党の大会(二〇〇〇年)でのことである。私たちの招待にこたえて来日したランズドルフ副議長が、チェコスロバキアにたいするソ連の干渉と侵略のさい、日本共産党が寄せた支援と激励に感謝するとともに、自分たちの党の歴史が、終始、ソ連の干渉とのたたかいの歴史だったとして、(一)一九二〇年代に、党指導部を押しつけられたこと、(二)第二次世界大戦後の建国の時期に、独自の社会主義への道を押しつぶされたこと、(三)一九六八年の武力による侵略、(四)最後の段階でのゴルバチョフの干渉と、四回にわたる重大な干渉の歴史を語ってくれた。こういう党だからこそ、一九八九年の体制崩壊についても、党大会で(一九九九年)、「押しつけられた『ソ連型』社会主義モデルの崩壊」と的確に規定づけることができたのだろう。

世界の未来には光がある

 私は、この二つの経験を示し、「崩壊した体制の政権党であっても、勇敢に過去の問題に決着をつけている党は、国民の信頼を回復して前進している」と述べ、アジアの党についても、自主的な立場をつらぬいてきたインド共産党(マルクス主義)が、八千万の人口をもつ州(西ベンガル州など)で、二十数年にわたって政権をとっていることもあげ、「やはり運動の前途には、世界的にも光がある、と思います」と結んだ。

 この紹介は、江総書記を大いに喜ばせたようで、実に率直な次の言葉が返ってきた。「さきほど低調と言いましたが、いまの話にあったとおり、まさに見通しは全体として明るい未来を持っていると思います」。そして午後四時二十分、それぞれの事業の成功のため、おたがいの奮闘を励ましあって、中南海をあとにした。(つづく)

 


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