日本共産党

2002年9月8日(日)「しんぶん赤旗」

原水爆禁止運動に偏見を持ち込む

「朝日」の特異な立場


 「朝日新聞」(二日付)が、「分裂続く原水禁・原水協 反核運動結集なるか」(社会部・本田雅和、北川学)と題する記事を掲載しました。この記事は、原水爆禁止運動と世界大会についてゆがめて報じるだけでなく、日本共産党を名指しして非難する異常なものです。

二つの原則を守って広げてきた共感

 「朝日」記事の趣旨は、“日本の原水禁運動は分裂したままであり、いまこそ運動の構造改革と力の結集が必要だ、運動を広げるためにも共産党はまず一歩下がることを考えるべきではないか”、というものです。この記事は、原水協系が海外代表などの動員力でも、財政力でも、原水禁系をはるかに上回っている事実は認めていますが、その要因については、「(両者の)主張の『中身』とは余り関係がない」と問題をそらせています。

 原水協は、結成以来、一貫して、核兵器廃絶を緊急の課題として正面にかかげ、一致点で共同するという二つの原理、原則を守ってきました。社会党、総評の特定の見解を世界大会に押し付けようとしたのが原水禁でしたが、二つの原理、原則は原水協によって守り抜かれました。原水協が中心となったことしの原水爆禁止世界大会には、核廃絶を求める八つの国の元首(首相)からのメッセージが寄せられ、四つの国の政府代表が参加しました。

 メッセージを寄せた国は、マレーシア、ベトナム、ラオス、バングラデシュ、南アフリカ、ニュージーランド、スウェーデン、タイ。政府代表の参加は、エジプトの外務次官、マレーシアの軍縮大使、バングラデシュ、南アフリカの大使館関係者でした。

 ここにしめされた国際政治の舞台の多彩な顔ぶれが、世界大会で、平和団体、NGOとともに議論し、核廃絶のために協力することの重要性を確認したことは、原水爆禁止運動の新たな発展段階を具体的にしめすものです。原水爆禁止世界大会が、こうした内外の人々の共感と信頼をかちえた大本には、さきにみた二つの原理、原則を守ってきたこと、これにもとづいて地道な活動を繰り広げてきたことがあることはきわめて明白です。

 確かに、運動が分裂していることに多くの国民は心を痛めており、原水爆禁止運動の統一は、国民的な課題です。一九九九年、原水協は原水爆禁止の国民的運動の発展と統一へ向け、「核兵器のない二十一世紀のための国民的な対話・交流・共同を」とのよびかけを発表し、原水禁をふくむ諸団体、個人に提起しました。しかし、原水禁は、この対話・交流・共同のよびかけには答えず、対話さえも拒んでいます。この間の彼らの大会では野党からのメッセージが紹介されてきましたが、日本共産党だけには要請してこないことにも、そのセクト的態度が示されています。「朝日」は、今回と同じ記者自身が、二年前にはこうした事実を無視できず、「原水協は二年前から、何回か原水禁側に共同行動を呼びかけている。だが、原水禁側は『激しい排斥と攻撃を加えたのはどちらか』と過去にこだわる」(二〇〇〇年八月九日付)と報じていたことを忘れたのでしょうか。

取材と称して特異なオルグ

 今回のような記事を書くうえで、「朝日」記者が、特異な「取材活動」をしてきたことは、海外代表のなかでも、かなり知られた話です。「朝日」記者は、たとえば昨年、原水協が中心となった世界大会に参加した海外代表に「この大会の背後には共産党がいる」などと、まったく事実をゆがめて吹き込んだうえで、あれこれの言質を引き出そうとしました。「大会は共産党色が強すぎる」という声が出るように、偏見を吹き込み、オルグしているようなものです。「朝日」記者のこうしたやり方による記事は、事実に目をふさぐ、まさに自作自演の報道といわなければなりません。

 もちろん、「朝日」記者が個人としてどのような考えを持とうと自由です。しかし、いやしくも新聞記者として取材し、記事を書こうとするなら、色眼鏡でなく、公平な目でみることが、最低限の責任です。(I・S)


 (注)原水協とは、原水爆禁止日本協議会の略称。一九五五年の第一回原水爆禁止世界大会の直後に結成されました。原水禁とは、原水爆禁止日本国民会議の略称。社会党、総評の特定の見解が受け入れられなかったからとして一緒にやってきた世界大会から分裂し、一九六五年に結成されました。

 


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