日本共産党

2002年9月5日(木)「しんぶん赤旗」

原発損傷事件

国と東電 隠す逃すの関係で


 「国も東京電力も同じ穴のむじな」(佐藤栄佐久・福島県知事)――東京電力が原子力発電所の点検記録に虚偽を記載し、炉心構造物の損傷の隠ぺいをはかり、国がそれを放置してきたことに怒りの声が広がっています。「国は何をやっていたのか」「なぜ公表が遅れたのか」。疑問をたどっていくと原発の安全性を検討するための諸会合に監督官庁側と推進側の東電首脳が同席するなど、まさに「同じ穴のむじな」の実態が明らかになりました。


東電副社長を政府諮問委員に

 原発の安全性を保つための規制を方向付ける部門に、その規制をうける電力会社の幹部が軒なみ名前を連ねています。その一つが、経済産業相の諮問機関の総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会。原子力安全・保安院が事務局です。その委員に、今回の隠ぺい問題に関与を認めている東京電力の榎本聡明副社長(原子力本部長)が参加しています。

 この部会は原子力開発の安全規制の内容やありかたを方向付ける重要な役割をもっています。

 榎本副社長は、隠ぺい発覚後に「柏崎刈羽原発所長をしていた時、1号機の小さな傷について報告を受けた」と、虚偽記載が問題になっている炉心構造物の傷を把握していたことを認めた当事者。それが規制内容を決めるメンバーに入っているのです。

 このほかにも、同部会の原発の炉心部などの検査基準などを見直す「検査の在り方に関する検討会」にも榎本副社長が、特別専門員として参加しています。

 同部会の電力安全小委員会にも、東京電力の市田行則常務取締役が委員を務めるなど、安全規制のなかに推進者の名前がずらりと並んでいます。

 国と東電が「同じ穴」で相談し、ことを進めている構図がくっきりと見えてきます。


隠ぺい知り運転認めた保安院長

 二〇〇〇年七月の内部告発から公表まで二年間もかかった今回の問題。しかし、二〇〇一年一月、原子力安全・保安院が発足した当時から、佐々木宜彦院長は事実関係を把握していました。同院が福島県におこなった経過説明の中で明らかになりました。

 保安院のトップが東電の虚偽記載と損傷の隠ぺい事実をつかんでも、原発の運転にストップはかからず、今回の立ち入り調査まで一年八カ月も堂々とフル運転が認められてきたわけです。

 保安院設置前にも、事実関係の解明はおざなりにされてきました。

二年前に情報

 内部告発を受け、当時の資源エネルギー庁担当者が、指摘のあった原子炉の虚偽記載を確認しようと任意の立ち入り調査をおこなったのは二カ月たった二〇〇〇年九月。部品が交換ずみで確認できなかったといいます。

 二〇〇〇年十二月には、東電に内部告発者とは別の技術者の照会をしました。しかし、保安院は、東電から二〇〇一年八月に「退職して聞けない」という回答がくるまで八カ月も放置したのです。

 保安院が直接点検メーカーに問い合わせたのはさらに二カ月後の同年十月になってから。これを契機に同年十二月に技術者と接触。ことし四月までに裏付けが必要な情報が集まったといいます。

 情報は二年前からあり、保安院長も二〇〇一年一月から知りながら、遅れに遅れた公表。保安院が、国民の「保安」より東電の「保安」を大事にしたのか――そんな疑問さえ起こります。

 政府も総合エネルギー調査会(経済産業相の諮問機関)に第三者の特別委員会を設置し、東電の虚偽記載・隠ぺい問題について、保安院の調査過程などを検証せざるをえなくなりました。


常駐の保安検査官は見抜けず

 政府は一九八〇年度から全国の原子力発電所に運転管理専門官を配置し、故障や異常、運転の監督をおこなう建前になっていました。

 茨城県東海村のJCO臨界事故(一九九九年九月三十日)を教訓に、保安院が発足して、運転管理専門官は、原子力保安検査官に改称され、現在二十の原子力発電所に九十九人が配置。東京電力の新潟・柏崎刈羽原発には八人、福島第一原発に七人、同第二原発に五人がそれぞれ常駐しています。

 東電の原発でおこなわれた工事や修理にも立ち会ったり、施設内を見回っていたはずなのに、東電の隠ぺいがどうして見逃されたのか、保安検査官と原発側の関係はどうだったのか――チェック体制の点検が求められています。

 


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