2002年7月28日(日)「しんぶん赤旗」
「脱ダム」を推進する長野県・田中康夫前知事の「県政改革」について、九月一日投票の県知事選挙で県民がどのような判断を下すか注目されます。「公共事業の無駄をなくしてほしい」という世論と運動は全国各地でまきおこっています。「脱ダム」の流れも押しとどめることはできません。新潟・清津川ダムと愛媛・山鳥坂(やまとさか)ダムをめぐる動きを見てみました。
新潟・中里村 |
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国土交通省が新潟県湯沢町に計画している清津川ダム(二千五百億円)について、計画の是非を検討してきた同省の同ダム専門委員会が五日、「建設中止が適当」と答申。建設中止が決定的となり、全国に広がっている「脱ダム」の流れがいっそう加速されることになりました。中止答申の背景には、建設反対の住民運動がありました。
「専門委員への陳情や署名運動など、住民が声を出していけば願いが実現できるんだということが実感できました。村長をはじめ、かつてない運動にとりくんだことが大きかったと思います」。
こう語るのは、ダムの直下流・中里村にある「日本三大渓谷」の清津峡でみやげ物店を営む藤ノ木信子さん(45)です。
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清津川ダムは多目的ダムとして一九六六年に計画が持ちあがり、三十数年間計画が進展しないまま、与党三党合意の「公共事業見直し」対象となりました。同省北陸地方整備局の事業評価監視委員会が専門委員会の設置を提言(二〇〇〇年十一月)し、発足した専門委員会で是非が検討されてきました。
ダムの必要性の理由としている利水では、計画当初の下流域の利水要望が毎秒三十五トンだったのが、九九年の調査ではわずか毎秒二トンにまで減少。治水では、ダムの果たす効果は本流である信濃川全流量の2%(基準点で十センチの減少)にすぎないことが明らかになっています。
環境面でも、ダムサイトには上信越高原国立公園があり、ブナ自然林が存在し、猛きん類をはじめ多数の希少生物の宝庫。清津峡は柱状節理の渓谷として学術的資料としても名高く、多くの観光客が訪れています。
専門委員会設置の提言がおこなわれたころから、ダム計画が再燃するのではないかと、中里村議会は昨年三月、ダム反対の決議を全会一致で可決。村では「ふるさとの清津川を守る会」を中心とする住民運動が発展し、村あげてのとりくみになりました。
山本茂穂村長は六月、国土交通省に要望書を提出し、あわせて「守る会」が村内外で集めた一万四千三百四十人分の反対署名を、会の代表とともに提出。山本村長は「国が任命した専門委員が中止答申を出したのだから、重くうけとめてもらいたい。貴重な自然を次世代にこのまま引き継ぐのがわれわれの務め。最終決定ではないので力をゆるめず運動を続けていきたい」と強調します。
「守る会」の樋口和一会長は「清津峡は国民的文化遺産なので守っていかねばならない。治水には治山も大事なので植林運動もすすめていく」と語ります。
湯沢町では、水没予定地の三俣地区のダム対策協議会が国の「実施計画調査」に同意しましたが、約五分の一の世帯にあたる反対派住民が一月に初めて意思を公にし、専門委員会に反対署名を提出しました。
同地区で、参勤交代があった江戸時代から代々旅館業を営む関マツさん(72)は「この地は先祖代々の最高の場所。ここにいれば村起こしがいくらでもできるが、ダムができてしまえば何もできなくなる。国は三十六年間の苦しみの補償をしてほしい」と思いを訴えます。(新潟県・村上雲雄記者)
日本共産党中里村委員会は、昨年五月に県革新懇(当時)と共同で「清津川ダムを考えるシンポジウム」を開催(二百十人参加)。木島日出夫衆院議員は現地調査、井上哲士参院議員も調査し、村長や副議長、関係住民と懇談、激励しました。県議会では、五十嵐完二県議が一貫してダムの問題点を指摘、中止を主張。湯沢町議員団も唯一、ダムの問題点を民報で町民に知らせました。
佐藤守正町議は「中止答申は、ダムはムダづかいで環境破壊につながるという住民運動と国民世論の反映。信濃川の治水は、上流の長野県側の千曲川の治水計画と一体ですすめるべきもの。そういう点でも長野県の田中康夫前知事の『脱ダム』のとりくみを支援していきたい。計画発表から三十六年間も放置されてきた三俣地域の振興策は急務であり、尽力していきたい」と語っています。
愛媛・大洲市 |
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愛媛県の肱川(ひじかわ)上流に建設が計画されている山鳥坂(やまとさか)ダム。この建設中止を求めて二十六日、日本共産党の大野新策大洲市議をはじめとした党議員とダム建設に反対する保守系市議、住民団体代表、漁協組合長らは、日本共産党の春名真章衆院議員とともに、国土交通省に対し、「住民合意のないダム建設は中止し、治水対策は堤防整備で」と申し入れました。日本共産党と肱川流域の住民団体が共同して申し入れるのは、はじめてのことです。
流域自治体が二十四日、最終的に目的を変更した計画を推進する再見直し案を受け入れることを表明。八月初旬には国交省が事業継続の手続きをとることが濃厚となるなかでの申し入れです。
同ダム計画は、約二十年前に予備調査に着手。松山市をはじめとした中予地域への中予分水を主な目的とした多目的ダムとして、一九九四年八月に国が建設の基本計画を公示しました。
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肱川下流域の大洲市などでは、水質の悪化をはじめとした環境破壊などが心配され、中予地域では、高い水道料金、水需要の過大見積もりなどが明らかになり、両地域の反対運動によって計画は停滞。与党三党合意の公共事業見直しにより、中止勧告を受けました。
しかし、「洪水が起きても、国・県の責任と言わないでほしい」と加戸守行県知事が発言をするなどダム推進派の巻き返しにより、計画を見直して継続することが決定。見直し案が示されましたが、住民は受け入れず、両地域あわせて二十の住民団体の共同に広がり、大洲市では、「ダム建設の是非は住民投票で」との運動に発展。二〇〇一年十一月には、中予分水計画は中止が決定しました。しかし国は、治水対策のためのダムに目的を変更して再見直しするとしています。
日本共産党は一貫して、「ダム建設でなく、堤防整備で」と議会で再三追及し、住民運動も激励してきました。大洲市の住民投票運動にも積極的に参加し、有権者の過半数をこえる署名が集まりましたが、昨年十二月議会で、自民党が多数の市議会はこれを否決しました。ことし六月議会でも、否決されたものの大野市議とダム建設に反対する保守系市議三人が共同して住民投票条例案を提出するなど議会内外で共同の発展に努力してきました。
ことし五月、春名衆院議員を大洲市にむかえ、再見直し案に対する党の見解を説明した「つどい」には、保守系市議、漁協幹部、住民投票の「会」の代表世話人などが参加。春名氏は、国の治水計画による堤防整備と既存ダムとの洪水調節量をあわせると、再見直し案が設定した五十年に一度の洪水も防げると指摘。「ダム建設先にありきの態度を改め、堤防整備こそ急ぐべきだ」と表明。参加者から意見、要望が相次ぐなど、ダム建設中止の一点での共同を発展させる契機となりました。 (愛媛県・田中克彦記者)