日本共産党

2002年7月22日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPRESS

被爆体験を聞ける最後の世代

僕らが語り継ぐ


 「被爆体験を直接聞ける最後の世代」――。私たちは、そう呼ばれています。東京都の青年たちが毎年開いている「平和と音楽のつどい」。前夜祭(十二日)では被爆者の山本英典さんを招いて体験を聞きました(別項)。二十一世紀を担う私たちが受け継ぐべきものは? 参加した三人の青年が話し合いました。


憲法9条を世界のものに

ひどいよね

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田村亜紀子さん 22歳。「平和と音楽のつどい」実行委員長。4月にアメリカで行われたワシントン平和大行進に参加。大学4年生

 田村亜紀子 「平和と音楽のつどい」は今年で五回目で、「核兵器、テロ、戦争、米軍基地に反対」が今年のテーマなんだよね。山本さんも言ってたけど、被爆したことで五十七年間も苦しみ、人生が変えられてしまうってひどいよね。

 徳本純枝 サークルで在日韓国人の若い人と交流してきました。日本では、日本による侵略の実態が知られてないって思っていたんだけど、広島や長崎の被害も、聞くことをおろそかにしてきた面があると思う。

 竹尾ひろし 長崎県大村市出身なので、小さいころから原水爆禁止世界大会や平和行進に参加していた。そうはいっても、被爆者の話を聞く機会はあまりなかったから、今回、長崎で被爆した山本さんの話を聞けてよかった。「被爆者手帳を持っていても、『原爆症』と認定されないのはどうしてか」と話していたけど、どうしてなんだろうね。おれなりに考えると、被爆者って認めるとお金がかかるからじゃないかな。それに戦争の真実は霧の中。教科書問題だってそうだろう。

 田村 戦争責任を認めたくないんだよね。

 竹尾 長崎の出身者として、体験を受け継ぎ、なんらかの協力をしなきゃと思っている。

 田村 被爆体験を生で聞けるのは日本が一番だから、聞かなきゃいけないってずっと思ってた。アメリカに行って行進したとき、むこうの青年と「平和活動を始めたきっかけは」という話になったんだよね。「キング牧師」とか「ガンジー」という答えが多かった。日本から参加した人は「被爆体験を聞いたから」が多かった。「これからは聞くだけじゃなくて、語っていかないと」って、すごく責任感が生まれましたね。

好きな歌がうたえるように

リアルさ違う

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徳本純枝さん 21歳。在日韓国人と交流するサークル「ウリミネ」所属。大学3年生。舞台・芸術を専攻

 徳本 直接聞くのと、教科書で読むのとではリアルさとか生々しさとかぜんぜん違うよね。

 田村 核兵器は残酷なもの、絶対使っちゃいけない。それをブッシュさん(米大統領)は分かってないよ。

 竹尾 国連総会で核兵器の廃絶を決議したのにね。(“先制核攻撃も辞さない”という)アメリカの戦略に対して、小泉首相は「選択肢の一つ」なんて言ってる。今年は毎年してきた被爆者の話を聞くこともやめるそうだ。「去年も聞いたからいいだろう」って。

 田村徳本 えーっ。

 田村 とんでもないよね。

 徳本 戦争の真実を伝えていかなきゃと思う。韓国の人はやられたことをちゃんと覚えてる。韓国の一部がやられた、ではなくて韓国の国全体がやられた、というふうに。日本に生まれたからには広島、長崎に原爆が落とされた、というだけじゃなくて「日本に原爆が落とされた」って意識しなきゃ。たった五十年前のことさえ遠いことに感じている。自分たちのおじいちゃん、おばあちゃんが体験したことなんだ、というように近くに感じられるようにしたい。

 竹尾 日本は自分がやったこともやられたことも「忘れて」いるんだからおかしいよな。教育とかマスメディアの問題も大きいけど。真実の話を受け継いでいかないと。

 田村 アメリカにもっていった原爆パネルに、みんなびっくりしてた。

 竹尾 ほんとにひどいもん。

 徳本 歴史を伝えていきたい。大学で舞台芸術を勉強してるけど、演劇や音楽などの文化を通して伝えていければいいと思う。「自分の国だけがよければいい」というのではなくて、一つの地球という観点を世界中の人が持てればいい。

50年前は遠い話ではない

まずアジアと

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竹尾ひろしさん 28歳。パンクバンド「LOOSE RIDER」(ルーズ・ライダー)のベース兼ボーカル

 竹尾 核兵器のない世界を目指す国連決議もあるしね。まずはアジアと手を組んで。

 徳本 そう! アジアからだよ。

 竹尾 五十年後の子どもたちも、好きな夢を見て、好きな歌がうたえるようにしたい。有事三法案なんて通させちゃいかん。おれらがこうして歌ってられるのも、戦前・戦後、おやじたちのがんばりがあったから。憲法九条の礎の上になりたっている。

 田村 未来に希望の持てない若い人が増えているっていうけど、そんなのよくない。一人ひとりが大切にされる、命が大切にされる社会、世界にしたい。核兵器なんてもってのほか。夢を持って生きられるように、憲法九条を世界のものにしたいね。




燃えつき 真っ白 音のない町

被爆者からのメッセージ
山本英典さん

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 「平和と音楽のつどい」前夜祭で話をした山本英典さん(69)=東京都原爆被害者協議会事務局長=はいいます。「昨年九月のテロにたいし、アメリカは報復戦争をしました。テロは許されるものではありません。しかし報復は報復を生む。私たち被爆者は、原爆を投下したアメリカに報復するとは言わなかった。私たちは『人類のあやまちを繰り返してはいけない』『核兵器の廃絶を』と叫んだのです」

 山本さんは一九三三年生まれ。十二歳の夏、長崎市本河内町(爆心から四・二キロ)の自宅で一人用の防空ごうを掘っているとき被爆しました。

 「北のほうからB29の爆音が聞こえてきて、『あの辺なら、大丈夫だな』と思った瞬間、光のまくに包まれたんです。昼すぎには『黒い雨』が降ってきました。市役所の辺りはたいへんな火炎。四日後に長崎医大近くへ行ったら、人も建物も燃え尽きて、真っ白く、音のない町になってしまっていました」

 「原爆の話は昔話ではない」と山本さんは力を込めます。アメリカは先制核攻撃の方針を取り、唯一の被爆国、日本の政府・小泉首相はそれを容認しています。「核のない二十一世紀をつくるには、被爆の実相を正しく伝えることがなにより重要です。私も胃がんの宣告を受けました。九月六日に私たちは原爆症の認定を求めて第二次集団申請をします。もし却下されるようなら裁判をおこします。たたかいは、今も続いているんです」

 二十一世紀を担う若い人たちへメッセージがあります。「音楽など、自分の趣味を生かし、好きな形で平和を表現するのはたいへんいいことだと思います。環境問題や食料問題などに興味のある若い人は多いと思いますが、いちばんの環境破壊は核兵器です。核をなくすためのボランティア活動にぜひ、参加してほしいと願っています」


サーフィン最高!

知的障害者が初体験

 「気持ちよかったぁ」――初めてのサーフィンで高橋俊太郎さん(26)の笑顔がこぼれます。

 この夏、知的障害者が参加して千葉県鴨川市で実現した「サマーキャンプ」。埼玉県内の障害者施設の入所者がサーフィンとボディーボードに挑戦したのは、二人の青年の会話が始まりでした。

 「海外では知的障害者もサーフィンを楽しんでいる。日本でも体制をしっかりとればできるのでは」。施設職員の橋本哲寿さん(25)と、学生時代からの友人で海外でプロの海難救助を経験する佐々木弘道さん(26)の会話です。

 人間関係に悩み、苦しんだ経験をもつ橋本さんは「周りの人に支えられて今の自分がある。今度は自分が支えになりたい」と施設職員になりました。自立を第一に考えて接します。

 佐々木さんは海外に比べて日本の海や川のスポーツの安全対策に疑問をもちます。「事故の多くが知識の少なさから起きています。救助する人の養成と自然の怖さ、素晴らしさを学ぶなど、事故を起こさないシステムを作ることが大事です」。ラフティングのガイドや、救難援助を養成するキャンプに取り組むなど多忙です。

 今回の「サマーキャンプ」は悪天候で参加者全員が体験できませんでしたが、「けがもなく、みんなの笑顔が見れて本当によかった」と佐々木さんもにっこり。

 施設では、泊まりがけの企画もサーフィンも初挑戦。企画は鴨川市のサーフィンクラブなどからも賛同、協力を得ました。

 「自信はなかったんですがやってよかった。次回から施設利用者自身が計画から参加できるようにしたい」と橋本さんは語っています。

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