日本共産党

2002年7月9日(火)「しんぶん赤旗」

原爆症認定求め集団申告

全国の被爆者がきょういっせいに

新たなたたかいの一歩


 原爆症に苦しむ広島、長崎の被爆者たちが九日、全国いっせいに原爆症の認定を求めて集団申請をします。申請が却下されれば、裁判所に集団で提訴する予定です。被爆者たちの新たなたたかいが始まります。

 「もし原爆が落とされなかったら、別の人生があった。がんの恐怖におびえずにすんだんです」。東京・板橋区の吉田忠さん(73)も申請を決意した一人。四十年以上にわたり、被爆者であることを隠し続けてきました。昨年、肝臓がんと診断され、「がんが原爆によるものだと国に認めさせたい」と語ります。

夫婦2人とも後遺症に悩む

 十五歳のとき、長崎市内の三菱電機(爆心地から二・五キロ)でねじをつくっている最中に被爆しました。ものすごい爆風で、気がつくとまわりは真っ暗。工場のトタン屋根が勤労動員されていた女子学生たちのうえに崩れ落ちていました。下敷きになった女子学生を踏みつけて、屋根のうえをみんなで逃げました。

 左足に骨がみえるほどのけがをしましたが、被爆後も会社にとどまり、救護作業に当たりました。だれかわからない骨を次々と家族に渡していったこと、若い女性の皮膚の下をウジ虫がはっていたこと…。「十五歳で地獄をみた」といいます。

 妻の登美子さん(67)も長崎の被爆者です。父親を原爆で亡くし、一家を支えていた登美子さんと結婚するため、駆け落ち同然で長崎を出て、大阪、東京で働きました。まじめで腕利きの機械職人だった吉田さんでしたが、被爆者であることがわかると、職場にいられなくなりました。以来、被爆者であることを隠し続けてきました。

 夫婦二人とも原爆の後遺症に悩まされてきました。吉田さんは、腸が癒着していると手術を何度も受けました。登美子さんは、体の“かったるさ”が長年続いています。五年前、胃がんを発見され、胃をすべて摘出しました。「まさか自分ががんになるとは夢にも思わなかった。これが被爆者なんです」と登美子さんはいいます。

 登美子さんの胃がんは、申請後、原爆症と認定されました。しかし、吉田さんの肝臓がんが原爆症と認定される可能性は極めて低いのです。C型肝炎に感染しているためです。

原爆症認定は被爆者の1%

 原爆症と国に認められ、医療特別手当を支給されている人は、全国に約三十万人いる被爆者のうち、わずか1%の二千人にすぎません。「自分は原爆症」と被爆者が申請しても、国は推定される被ばく放射線量で被爆者を切り捨ててきました。爆心地から二キロ以内で被爆した人の限られた病気しか原爆症と認めてきませんでした。

 いまたたかわれている東(あずま)原爆裁判でも国側は東さんの肝機能障害はC型肝炎によるものと主張しています。「すべてのがんを原爆症と認めよ」というのが被爆者の願いです。

 「C型肝炎に感染したのも手術のさいの輸血が原因だと思う。いずれにしても原爆投下が原因ではないですか」と吉田さんは語気を強めます。「夫のがんを原爆が原因と認めて、償ってほしい」と登美子さん。

核政策の改革求めるために

 集団訴訟は、日本原水爆被害者団体協議会を中心に弁護士や医療関係者の協力をえて、昨年秋から準備がすすめられてきました。原爆症の認定を求めてたたかわれた長崎原爆松谷訴訟の最高裁判決(二〇〇〇年七月)、京都訴訟の大阪高裁判決(同年十一月)で認定のあり方が断罪されても、認定率は向上していないためです。

 「核兵器の被害をできるだけ小さく見せようとする政府の被爆者政策、核政策の改革を求めていくたたかい」(日本原水爆被害者団体協議会)となるものです。

 


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