日本共産党

2002年3月14日(木)「しんぶん赤旗」

百里基地の「く」の字は平和の旗印

裁判たたかった農民ら

「有事法制とんでもない」

茨城


 小泉内閣が戦争のために土地を取り上げる内容を盛り込んだ有事法制を、国会に提出しようとしています。そんななか、百里基地訴訟をたたかった茨城県小川町の農民たちは「ふたたび戦争への土地取り上げにつながる有事法制は、絶対許せない」と声を上げています。(佐藤研二記者)

軍事目的の収用できず

 航空自衛隊百里基地。国内最大規模の「重要基地」ですが、二千七百メートルの滑走路に平行する誘導路は「く」の字に折れ曲がっています。曲げているのは、防衛庁に土地を売ることを拒んできた農民たちが取り組んだ「一坪運動」の土地。一九八九年に「百里平和公園」として整備されました。

 「公園が基地のど真ん中にあって、しかも誘導路を曲げているなんて、世界でも百里だけだね。この『く』の字をみれば、軍隊を持たないことを明記した憲法九条の意味がよく分かりますよ」と、平和公園の園長で百里基地反対同盟の川井弘喜さん(65)は語ります。

 基地裏門から基地中央に向けて約五百メートル入った公園の広さは、約五千平方メートル。“目の上のタンコブ”の公園をどうして自衛隊は強制的に収用できないのか――。百里基地訴訟弁護団の池田眞規弁護士はいいます。

 「平和憲法のもと、戦前の土地収用法が改正され、軍事・国防の目的で土地を収用することができなくなった。つまり、『く』の字に曲げた平和公園が、憲法九条をあらわしているわけです」

 公園敷地内には「百里平和稲荷」も建立され、ほこらには「憲法九条」がまつられています。

 平和稲荷「闘主」と名刺に刷り込む川井さんは「九条でこの土地が守られてきたけど、軍事目的で土地が収用できる有事法制ができれば大変。いざとなれば、こんな『く』の字なんて、すぐまっすぐにされてしまう」と顔を曇らせます。

国家総動員戦前とおなじ

 百里平和委員会の宮沢昭会長(75)もうなずきながらいいました。「小泉首相は『備えあれば…』というけど、悪の枢軸をたたくアメリカに協力するためのものでしょ。でも、軍隊だけでは戦争はできない。国家総動員法をつくって国民を戦争に巻き込んだ戦前とおなじやり口です」

 百里の開拓農民にとって、土地は特別の意味と歴史を持ちます。

 父親の代が心血注いで開拓した土地が、海軍航空隊の基地建設で奪われた戦前。敗戦後、土地は農民の手に解放されたものの「滑走路で土は固められ、ろくな作物ができなかった」(宮沢さん)苦難の十年。ようやく光が差してきた五六年、今度は自衛隊基地建設の計画が持ち上がります。

戦争への土地絶対渡さない

 防衛庁による卑劣な切り崩し工作、長びく裁判…。最高裁まで争って敗訴しましたが、それでも売買契約外の土地がいま残っています。「反対運動を今日まで続けてきたのは、とにかく戦争はもう二度といやだから。戦争への土地は絶対渡したくないという思いだけです。欲があったら続きませんよ」と川井さん。

 基地反対のたたかいのなかで育った“入植二代目”の梅沢優さん(52)もいいます。「町の中学生が職場見学で自衛隊に行くなど、生活のあらゆる分野に軍隊が入り込む町から、有事法制反対の声を上げる意義は大きい。もっと国民の関心を高めていきたい」

 基地の心臓部に突き刺さる「く」の字は、有事法制のたくらみに農民が打ち込んだ“くさび”のようです。


 航空自衛隊百里基地 中部航空方面隊第7航空団のF15戦闘機イーグル戦闘機40機や偵察航空隊のRF4Eファントム28機などを配備。90年に日米共同基地とされ、共同訓練も行われています。

 百里裁判 激しい基地反対闘争のなか、防衛庁が「取得」した約2ヘクタールの土地の所有権をめぐって農民と国が争った裁判。農民側は「憲法9条に違反する自衛隊のための土地取得は違法」と主張。一審(77年2月)、二審(81年7月)、最高裁(89年6月)とも正面から自衛隊に対する憲法判断を避け、国側が勝訴。

 


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